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「知的財産、遺伝資源及び関連する伝統的知識に関するWIPO条約」の最終文書が世界知的所有権機関(WIPO)で採択 ― 特許出願における遺伝資源等の出所開示義務化へ ―

2024年5月13日から約2週間にわたりジュネーブで開催されていた遺伝資源及び伝統的知識に関する世界知的所有権機関(WIPO)外交会議は、最終日である5月24日、”WIPO TREATY ON INTELLECTUAL PROPERTY, GENETIC RESOURCES AND ASSOCIATED TRADITIONAL KNOWLEDGE”(知的財産、遺伝資源および関連する伝統的知識に関するWIPO条約)と題する新たな国際法的文書を採択することで幕を閉じました。

1999年にコロンビアの提案により開始された遺伝資源及び伝統的知識の保護を求める議論は、WIPO一般理事会で設立された知的財産並びに遺伝資源、伝統的知識及びフォークロアに関する政府間委員会(WIPO Intergovernmental Committee on Intellectual Property and Genetic Resources, Traditional Knowledge and Folklore : IGC)において四半世紀にわたり議論が続けられ、とうとう条約という形の最終文書としてまとまることとなりました。

この条約は、締約国の15か国で批准されると発効されます。

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1.背景

この国際的な議論の背景となっている政策課題は、WIPOマガジン(2023年2月)におけるWend Wendland氏(WIPO伝統的知識部ディレクター、WIPO IGC事務局)が述べている文章が判りやすいため以下に引用します。

「現代の生命科学研究は、遺伝資源や伝統的知識を利用した研究を含め、人類に多大な恩恵をもたらしています。しかし、遺伝資源および関連する伝統的知識に基づく発明に対して、新規性や進歩性、産業上の利用可能性などの特許性の要件を満たしていなくても特許が付与されることを、多くの国が懸念しています。このような「誤った特許」の付与により、遺伝資源および関連する伝統的知識の不正利用が助長されるとの議論があります。これは俗に「バイオパイラシー (生物資源の略奪行為)」と呼ばれています。 

科学者や企業、公共部門の研究機関が、科学研究の多大な恩恵を享受しつつ、生物多様性に富む国家や先住民、地域コミュニティ、ひいては科学界全体の利益を保護するために、特許制度はどのように貢献できるでしょうか。」

– WIPOマガジン 2023年2月より引用(URL: https://www.wipo.int/wipo_magazine_digital/ja/2023/article_0003.html

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2.条約の目的

第1条にて、本条約の目的は、

(a) 遺伝資源及び遺伝資源に関連する伝統的知識に関する特許制度の有効性、透明性及び質を向上させること

(b) 遺伝資源及び遺伝資源に関連する伝統的知識に関して新規性又は進歩性のない発明に対して誤って特許が付与されることを防止すること

であると定めています。

以下に紹介する主な条文のとおり、本条約の目的を達成するための核心は、発明に利用した遺伝資源及び遺伝資源に関連する伝統的知識の出所を特許出願において開示するよう義務づけていることにあります。

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3.遺伝資源とは

本条約の第2条において、「遺伝資源(Genetic resources)」とは、現実の又は潜在的な価値を有する「遺伝素材(Genetic material)」と定義されています。

そして、「遺伝素材(Genetic material)」とは、遺伝の機能的な単位を有する植物、動物、微生物その他に由来する素材をいうと定義されています。 

「遺伝資源」という用語は、第2条の脚注1において、生物多様性条約に沿って使用されること、つまり、この条約は「ヒトの遺伝資源」を対象とすることを意図していないと明記されています。この点は重要なポイントです。

“Genetic material” means any material of plant, animal, microbial or other origin containing functional units of heredity.

“Genetic resources”1 are genetic material of actual or potential value.

“Source of genetic resources” refers to any source from which the applicant has obtained the genetic resources, such as a research center, gene bank, Indigenous Peoples and local communities, the Multilateral System of the International Treaty on Plant Genetic Resources for Food and Agriculture (ITPGRFA), or any other ex situ collection or depository of genetic resources.

“Source of traditional knowledge associated with genetic resources” means any source from which the applicant has obtained the traditional knowledge associated with genetic resources, such as scientific literature, publicly accessible databases, patent applications and patent publications.


1 The definition of “genetic resources” is, in line with the manner in which the term is understood in the context of the Convention on Biological Diversity, not intended to include “human genetic resources”.

生物多様性条約(CBD)に関しては、生物多様性条約締約国会議において、遺伝資源のデジタル配列情報(DSI)の使用から得られる利益が公正かつ衡平に配分されるべきであることについて議論が進んでおり(2022.12.20ブログ記事「生物多様性条約第15回締約国会議(COP15) 遺伝資源のデジタル配列情報(DSI)の使用から得られる利益が公正かつ衡平に配分されるべきであることに合意、多国間メカニズム構築へ」参照)、2024年10月21日から11月1日までコロンビアで開催される生物多様性条約締約国会議(COP16)では、その議論が中心課題のひとつとなります。COP16会議では、遺伝資源のデジタル配列情報の使用から得られる利益の公正かつ衡平な配分に関する多国間メカニズムの最終決定と運用可能化へと議論・交渉が進むと見込まれています。

生物多様性条約第15回締約国会議(COP15) 遺伝資源のデジタル配列情報(DSI)の使用から得られる利益が公正かつ衡平に配分されるべきであることに合意、多国間メカニズム構築へ
>前回9/20記事「生物多様性条約・名古屋議定書で定める遺伝資源の利用から生ずる利益の公正かつ衡平な配分(ABS): 「遺伝資源」にデジタル配列情報(DSI)は含まれることになるのか」から続く 2022年12月7日から19日まで、カナダ・モントリオールにおいて、生物多様性条約第15回締約国会議(COP15)第二部が開催され、「ポスト2020生物多様性枠組」の採択に向けた最終的な交渉が行われました。...
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4.遺伝資源の出所開示義務

第3条は、特許出願人に以下の事項を開示させるよう締約国に求めています。

第3.1条は、クレームされた発明が「遺伝資源」に基づく場合、各締約国は、出願人に、遺伝資源の原産国を、それが不明である場合はその出所を、開示させなければならないと規定しています。原産国が複数存在する場合、出願人に、その遺伝資源が実際に入手された原産国を開示させなければなりません(第3.1条の脚注2)。

3.1 Where the claimed invention in a patent application is based on genetic resources, each Contracting Party shall require applicants to disclose:

(a) the country of origin of the genetic resources2 , or,

(b) in cases where the information in Article 3.1(a) is not known to the applicant, or where Article 3.1(a) does not apply, the source of the genetic resources.


2 Agreed Statement: In cases where there is more than one country of origin, the applicant shall disclose the country of origin from which the genetic resources were actually obtained.

第3.2条は、クレームされた発明が遺伝資源に関連した「伝統的知識」に基づく場合、各締約国は、出願人に、その知識を提供した先住民又は地域社会を開示させなければならず、それが不明である場合はその出所を開示させなければならないと規定しています。

3.2 Where the claimed invention in a patent application is based on traditional knowledge associated with genetic resources, each Contracting Party shall require applicants to disclose:

(a) the Indigenous Peoples or local community, as applicable3, who provided the traditional knowledge associated with genetic resources, or,

(b) in cases where the information in Article 3.2(a) is not known to the applicant, or where Article 3.2(a) does not apply, the source of the traditional knowledge associated with genetic resources.


3 Agreed Statement: It is understood that the term “as applicable” in Article 3.2(a) shall not be interpreted as providing flexibility to the Contracting Parties to not require applicants to disclose the information required in Article 3.2(a). For greater certainty, Article 3.2(a) will be implemented without having any effect on the scope of the disclosure requirement in Article 3.

もし、出願人が遺伝資源又は伝統的知識の出所を知らない場合、締約国は、出願人に、開示された情報が出願人の「最善の知識において真実かつ正確」である旨の宣言をさせなければなりません(第3.3条)。

また、締約国は、出願人に、開示要件を満たすためのガイダンスと、開示の不履行を是正する機会を提供しなければなりません(第3.4条)が、開示の真正性を確認する義務を国内官庁に課してはなりません(第3.5条)。また、各締約国は、秘密情報の保護を害することなく、特許手続きに従って開示された情報を利用可能にしなければなりません(第3.6条)。

なお、締約国は、この条約がその締約国に対して発効する前に提出された特許出願に関して、この条約の義務を課してはなりません。ただし、既存の国内法に基づく開示に関する規定は、そのような特許出願に適用されます(第4条)。

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5.出所開示義務違反があった場合

第5条は、各締約国は、第3条において要求される情報開示の不履行に対処するため、適切で効果的かつ公正な措置を講じなければならず(第5.1条)、制裁又は救済措置を実行する前に、第3条において要求される情報の不開示を是正する機会を提供しなければならない(第5.2条)と規定しています。

もし、不正の意図があった場合、付与後の制裁や救済を認めていますが(第5.4条)、情報を開示しなかったことのみを理由として、特許を取り消したり、無効にしたり、行使不能にしたりすることを禁止しています(第5.3条)。

5.1 Each Contracting Party shall put in place appropriate, effective and proportionate legal, administrative, and/or policy measures to address a failure to provide the information required in Article 3 of this Treaty.

5.2 Subject to Article 5.2(bis), each Contracting Party shall provide an opportunity to rectify a failure to disclose the information required in Article 3 before implementing sanctions or directing remedies.

5.2(bis) A Contracting Party may exclude from the opportunity to rectify under Article 5.2 cases where there has been fraudulent conduct or intent as prescribed by national law.

5.3 Subject to Article 5.4, no Contracting Party shall revoke, invalidate, or render unenforceable the conferred patent rights solely on the basis of an applicant’s failure to disclose the information specified in Article 3 of this Treaty.

5.4 Each Contracting Party may provide for post grant sanctions or remedies where there has been fraudulent intent in regard to the disclosure requirement in Article 3 of this Treaty, in accordance with its national law.

締約国によってはこの出所開示義務として過大な情報提供を求める厳しい要件を出願人に課すかもしれません。しかし、本来の特許性の問題とは異なるこの形式的な義務違反を理由として特許が無効とされてしまうようでは出願人にとっては酷に過ぎます。最終的な条文では、不正の意図がある場合には何らかの制裁が科される場合はあるものの(第5.4条)、情報開示の不履行のみを理由として開示義務違反に対して特許を無効とするような制裁は禁止すると明記(第5.3条)されたことで、その懸念は回避されました。

ニャー
ニャー

遺伝資源を活用した研究開発をしている研究機関や企業は、今後、この条約を批准する締約国の出所開示義務の具体的な国内法令整備・改正等に変化があるかどうか注視していく必要があるでしょう。

Fubuki
Fubuki

日本はこのWIPO条約を批准するのでしょうか。批准するとしたら国内の法整備を進める必要がありそうです。日本にも貴重な遺伝資源や伝統的知識が存在するのであれば、「バイオパイラシー」を防止・監視するために、過大な負担を出願人に与えない限度で、このような出所開示義務を導入して良いのかもしれません。

コメント

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