Summary
- パーキンソン病治療剤ノウリアスト®(一般名:イストラデフィリン)の結晶発明に係る協和キリンの特許第4606326号についての無効請求不成立審決の取消訴訟で、裁判所は、原告ら(共和薬品工業及び日医工)の取消事由(進歩性欠如及びサポート要件違反)は理由がないとして、原告らの請求を棄却する判決を言い渡した。
- 裁判所は、溶解性と安定性に課題があった化合物1(イストラデフィリン)について、溶解性を追求するとの観点から溶解性を高めるための周知技術を採用し、かつ、安定性を追求するとの観点から溶解性を低下させる結果となり得る周知技術(結晶の結晶化度を大きくするとの周知技術)をあえて採用することが容易に想到し得たことであったと認めることはできないとして、原告らによる進歩性欠如の主張を退けた。
- 本件は、周知技術の組み合わせを阻害する事由(トレードオフ)の存在により進歩性が肯定されたわかりやすい事例といえる。
1.背景
本件(知財高裁令和4年(行ケ)10064)は、協和キリンが特許権者であり、発明の名称を「微細結晶」とする特許第4606326号に対して、共和薬品工業及び日医工(以下、「原告ら」という。)がした無効審判請求(無効2020-800100号事件)を不成立とした審決の取消訴訟である。
争点は、進歩性欠如(取消事由1)及びサポート要件違反(取消事由2)の有無である。
本件各発明は、化合物1の結晶及びこれを含む固体医薬製剤に関するものであり、本件発明1(請求項1)は以下のとおり。
0.5~20μmの平均粒径を有し、結晶化度が40%以上である
【化1】
で表される(E)-8-(3,4-ジメトキシスチリル)-1,3-ジエチル-7-メチル-3,7-ジヒドロ-1H-プリン-2,6-ジオンの微細結晶。
この化合物1は、パーキンソン病治療剤ノウリアスト®の有効成分であるイストラデフィリン(Istradefylline)ですね。
化合物1は、パーキンソン病の治療等に有用であるところ、従来から知られていた化合物1の結晶は、水に対する溶解性が低く、バイオアベイラビリティが低い、製剤化の工程操作中に凝集が生じる、光に不安定で、構造中の二重結合部分(ビニレン部分)が異性化しやすいという課題があった。
このような課題を解決するために、本件各発明は、化合物1の結晶について、
- 平均粒径を0.5~20μm(相違点1の数値範囲)、かつ、
- 結晶化度を40%以上(相違点2の数値範囲)
とする構成を採用したものであった。
進歩性欠如の主張に挙げられた甲1(特開平6-211856号公報)に記載された結晶発明(甲1結晶発明)と本件発明1を対比すると、両者は、化合物1の結晶という点で一致しており、本件各発明の上記2つの構成が甲1結晶発明には特定がない点で相違していた。
2.裁判所の判断
知財高裁(第2部)は、化合物1の溶解性及び安定性を高めるとの甲1結晶発明の課題を認識していた本件優先日当時の当業者において、化合物1の結晶の平均粒径を相違点1の数値範囲とし、かつ、その結晶化度を相違点2の数値範囲とすることが容易に想到し得たことであったと認めることはできないから、本件各発明の進歩性についての判断の誤りをいう取消事由1は理由がない、また、本件各発明に係る特許請求の範囲は、サポート要件に適合するものであるから、取消事由2も理由がない、と判断し、原告らの請求を棄却した。
取消事由1(本件発明1の進歩性についての判断の誤り)についての判断を以下に一部抜粋した。
「本件優先日当時、非晶質の薬物の方が一般に溶解性が高いとの技術常識が存在し、そのため、水難溶性の薬物の溶解性を改善するとの目的で、かえって結晶化度を低くすることが一般に行われていたものと認められるところ、前記・・・のとおり、本件優先日当時、経口投与される水難溶性の薬物の溶解性を高めるための周知技術として、結晶の粒子径を小さくすること以外の方法も存在し、また、薬物の安定性を高めるための周知技術として、結晶の結晶化度を高めること以外の方法も存在していたのであるから、化合物1の溶解性及び安定性を高めるとの課題を認識していた本件優先日当時の当業者において、化合物1の溶解性を追求するとの観点から、経口投与される水難溶性の薬物の溶解性を高めるための周知技術(結晶の粒子径を小さくするとの周知技術)を採用し、かつ、化合物1の安定性を追求するとの観点から、薬物の溶解性を低下させる結果となり得る周知技術(結晶の結晶化度を大きくするとの周知技術)をあえて採用することが容易に想到し得たことであったと認めることはできない。」
化合物1の溶解性を改善しようとするなら結晶化度を低くすることが一般的な方法の一つだけれど、本件発明は、逆に結晶化度を高くすることを構成に採用しているので、進歩性が認められたようですね。
3.コメント
(1)あちら立てればこちらが立たぬ
双方どちらにとっても良い、ということはありえない。一方を良いようにすれば、他方が悪くなる。物事は両立しがたいものだというたとえを、ことわざで「あちら立てればこちらが立たぬ」という。そのような状態や関係性をトレードオフともいう。
本件は、化合物1(イストラデフィリン)は、溶解性や安定性に課題があり、溶解性を改善しようと甲1結晶発明に結晶の粒子径を小さくするとの周知技術を採用するとしても(相違点1)、さらに、安定性に良いように結晶化度を大きくすれば(相違点2)溶解性には悪く、両立しがたい、という相反する周知技術どうし、すなわち「あちら立てればこちらが立たぬ」となるトレードオフ、の組み合わせは容易に想到することが困難であるとして進歩性を肯定した事例、ということもできる。
結晶の結晶化度を大きくすると薬物の溶解性を低下させる結果となり得るとの技術常識の存在は、相違点2の構成を採用する論理づけを妨げる「阻害要因」といえるかもしれませんね。
「阻害要因」といえば、仕事の方向性で上司と喧嘩してしまったとか、長期夏季休暇のため発明完成に時間がかかってしまったとか、予算の関係で必要な材料を購入できないでいたとか、安月給で仕事へのモチベーションが低いとか・・・こんな事情も発明の完成を妨げる「阻害要因」かも(笑)
ピポ先輩~! 進歩性は、その発明の属する技術分野の技術常識を有する者(「当業者」)が先行技術に基いて容易に発明をすることができたかどうかで判断されます。「阻害要因」も、ピポ先輩個人の事情を考慮するのではなく、「当業者」目線で考えてくださいよ~。ピポ先輩!
・・・
「あちら立てればこちらが立たぬ」のトレードオフ(阻害事由)が存在するとして引用発明を組み合わせる論理づけが否定され、進歩性が肯定された過去の医薬系特許的事件を以下にいくつか紹介する。
ア 「テアニン含有組成物」事件
裁判所は、「自律神経系の作用と中枢神経系の作用は区別して認識されるのが技術常識であり,証拠を総合するも,自律神経系に作用する食品等が,当然に中枢神経系にも作用するという技術的知見があることを認めることはできない。そうすると,自律神経系に作用する引用例1発明は中枢神経系に作用する引用例2発明とは技術分野を異にする発明であることから,当業者は,引用例1発明に引用例2発明を適用することは考えないというべきであって,両発明を組み合わせることには阻害要因があるというべきである。」として、阻害事由を看過して当業者が引用例1発明に引用例2発明を適用することにより容易に補正発明1に想到することができるとした審決の判断には誤りがあると判断した(2010.03.30 「太陽化学 v. 特許庁長官」 知財高裁平成21年(行ケ)10144)。
この判決では阻害要因があると述べられていますが、単に引例どうしが技術分野を異にすることから組み合わせる動機がないというだけのようであり、その動機を積極的に否定するようなものではないように思えます。「阻害要因」なのかな?
イ 「口腔内投与のためのニコチンを含む液体医薬製剤」事件
裁判所は、アルカリ性化されていることを特徴とするニコチン遊離塩基を含む液体医薬製剤に関する本件発明について、「・・・引用例2には,揮発性,苦くて舌を焼くような味,粘液膜上での刺激性の感覚,酸素面前での分解というニコチンの遊離塩基の有する問題が,ニコチンの塩形態,すなわち酸付加塩又は金属塩を使用することによって部分的に緩和されたことが記載されている。・・・本願優先日当時・・・ニコチンが遊離塩基になりやすいアルカリ性では,生理的に悪影響があることが周知であったということができる。したがって,引用発明1の薬剤をアルカリ性化することには,阻害事由が認められる。」として、当業者が相違点1に係る構成を容易に想到し得たものということはできないと判断した(2013.02.28 「マクニール v. 特許庁長官」 知財高裁平成24年(行ケ)10205)。
ウ 「2室容器入り経静脈用総合栄養輸液製剤」事件
裁判所は、「たとえ輸液製剤を高圧蒸気滅菌することが周知であるとしても,引用発明に適用する動機付けはない。むしろ,一般にビタミン類は熱や光によって分解されやすいという技術常識からすれば,マルチビタミン剤を混注した後のピーエヌツイン-2号を高圧蒸気滅菌すると,ビタミン類が分解されてしまい,アシドーシス予防効果を充分に達し得ないことにもなりかねないから,高圧蒸気滅菌することには阻害要因があるといえる。」として、高圧蒸気滅菌を引用発明に適用することは当業者が適宜なし得ることである旨判断した審決は誤りであると判断した(2014.07.16 「エイワイファーマ(脱退前原告 味の素) v. 大塚製薬工場」 知財高裁平成25年(行ケ)10089)。
エ 「光安定性の向上した組成物」事件
裁判所は、「アムロジピンに関する周知事項及び上記(ウ)の技術常識に鑑みれば,アムロジピン原体は,光により着色し,外観変化と分解物の生成を生じ得るものであるところ・・・甲1発明のベシル酸アムロジピンを含有するフィルムコート錠を,敢えてフィルムコートを有しない経口固形組成物に変更することには,光による変色・分解物の発生のおそれ,苦み,薬剤の溶出挙動の変化等の観点から阻害要因があるというべきである。」として、被覆層(フィルムコート部分)を有する甲1発明につき、被覆層を有しないものとすることは当業者が容易に想到できたものとはいえないと判断した(2018.10.11 「エルメッドエーザイ v. 大日本住友製薬」 知財高裁平成29年(行ケ)10160)。
(2)ノウリアスト®と特許権
ア パーキンソン病治療剤ノウリアスト®とは
本件各発明における化合物1は、パーキンソン病治療剤ノウリアスト®の有効成分であるイストラデフィリン(Istradefylline)である。
ノウリアスト®(一般名:イストラデフィリン(Istradefylline)、開発番号:KW-6002)は、パーキンソン病治療薬として協和発酵キリン(現:協和キリン)で創製されたアデノシンA2A受容体拮抗薬である。
協和キリン、パーキンソン病治療剤ノウリアスト®(米国製品名:Nourianz®)を、X染色体連鎖性低リン血症治療剤クリースビータ®/Crysvita®及び抗悪性腫瘍剤ポテリジオ®/Poteligeo®とともにグローバル戦略品と位置づけ、価値最大化を進めており、その2022年度売上収益は、日本で80億円、海外で65億円である(協和キリン 2022年12月期 決算短信補足資料)。
ノウリアスト®は、1996年より臨床開発が開始され、「レボドパ含有製剤で治療中のパーキンソン病におけるウェアリングオフ現象の改善」を効能・効果として、世界に先駆けて日本にて、2013年3月25日に製造販売承認を取得した(再審査期間は終了している(8年:~2021年3月24日))。
イ 結晶発明に係る本件特許権は2026年10月まで存続
ノウリアスト®の承認に基づいて本件特許第4606326号に係る特許権の存続期間延長登録(特願2013-700110)がなされており、2年5月9日の延長が認められたことにより、当該特許権の満了日は、20年の満了日が2024年5月7日であったところ、2026年10月16日となっている。
ウ 医薬用途発明に係る特許権も2026年8月まで存続
ノウリアスト®については、協和キリンが保有する医薬用途発明に係る特許権(特許第4376630号)も存続している。
東和薬品、共和薬品工業及び日医工により、この特許について無効審判が請求されており(無効2020-800034)、無効審判の請求は成り立たないとする審決が、知財高裁に出訴され(令和3年(行ケ)10157号及び令和3年(行ケ)10155号)、2023年1月12日に請求棄却の判決言い渡しがされて、協和キリンが勝訴している。
協和に東和と共和が令和に。2023年の漢字は「和」で決まりだな!
ミャオ君がいると空気が和(なご)むよ。よろぴく!
昭和かーい!
なお、同特許について別に請求された無効審判(無効2020-800076)についても、2023年7月12日に請求は成り立たないとする審決が出されている。
当該特許権についてもノウリアスト®の承認に基づいて存続期間延長登録(特願2013-700107)がなされており、3年6月6日の延長が認められたことにより、当該特許権の満了日は、20年の満了日が2023年1月28日であったところ、2026年8月3日となっている。
この医薬用途特許の存在により、ノウリアスト®の後発品が承認されるのは、早くても2026年8月中旬になると推測されますね。
エ その他の特許権
ノウリアスト®を保護する固形製剤に関する特許権(特許第4673745号; 2026年9月9日満了)やジアリールビニレン化合物の安定化方法に関する特許権(特許第4413866号; 2028年1月23日満了)も存在するが、現時点で、これら特許に対して無効審判は請求されていない。
ノウリアスト®後発品の承認を狙う後発品メーカーは、これら特許に係る特許請求の範囲を回避した後発品を開発しているかもしれない。
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