2023年6月9日、内閣府知的財産戦略推進事務局は、知的財産戦略本部による「知的財産推進計画2023」を公表しました。
副題「~多様なプレイヤーが世の中の知的財産の利用価値を最大限に引き出す社会に向けて~」のとおり、その実現に向けて、今後、知財戦略を推進する際に重要となる政策課題と重点10 施策を着実に実行していくとしています。
本計画では、冒頭で知財戦略を考える上で踏まえるべき日本の置かれている現状を基本認識として整理し、今後、知財戦略を推進する際に重要となる政策課題と施策を、「スタートアップ・大学の知財エコシステムの強化」、「多様なプレイヤーが対等に参画できるオープンイノベーションに対応した知財の活用」、「急速に発展する生成 AI 時代における知財の在り方」、「知財・無形資産の投資・活用促進メカニズムの強化」、「標準の戦略的活用の推進」、「デジタル社会の実現に向けたデータ流通・利活用環境の整備」、「デジタル時代のコンテンツ戦略」、「中小企業/地方(地域)/農林水産業分野の知財活用強化」、「知財活用を支える制度・運用・人材基盤の強化」、「クールジャパン戦略の本格稼働と進化」の重点10 施策に整理している。
今後、日本において、多様なプレイヤーが世の中の知的財産の利用価値を最大限に引き出す社会の実現を目指し、本計画に基づく施策を着実に実行していくことが求められる。
– 「知的財産推進計画2023 はじめに」より
さて、同事務局は、「知的財産推進計画2023」の策定に向けて寄せられた意見募集の結果についても公表しています(「知的財産推進計画2023」の策定に向けた意見募集の結果について)。
製薬業界団体等からも意見書が提出されました。
これら意見書の内容は、今回の知的財産推進計画にその意見内容が盛り込まれたかどうかにかかわらず、現在、製薬業界がどのような課題を抱えており、どのような施策の推進を政府に要望しているのか、を知ることができる良い資料ともいえます。
本記事では、製薬企業を含む関係団体からの意見内容の一部を抜粋して紹介します(AIやデジタル関連の意見詳細紹介は省略)。
1.日本ジェネリック製薬協会
日本ジェネリック製薬協会は、「知的財産推進計画 2022」の「重点8施策」を進めて知財活用の促進を図るべきであり、人々が大発明の社会還元の恩恵に浴してこそ、社会が発明を敬うようになり、ガイドラインや調停などのソフトローに自主的に従うようになると述べています。
また、「懲罰的賠償制度」、「利益吐出し請求権」、「ドイツ型二段階訴訟制度」、「一事不再理の範囲の拡大」の導入は、適正な技術論争を阻害し、不服申立を封じる制度であるので、正しい方向ではないと意見しています。
日本ジェネリック製薬協会が反対しているこれら各制度の導入については、過去に産業構造審議会で議論され、「動向を踏まえ、具体的なニーズが高まった時期に改めて検討することとするのが適当」との結論が出されています。
参考:
- ウィズコロナ/ポストコロナ時代における特許制度の在り方(令和3年2月 産業構造審議会 知的財産分科会 特許制度小委員会)では、「懲罰的賠償制度については、否定的な意見が多く出され、早期の制度化に向けた検討を進めることには慎重であるべきだと考えられる。侵害者利益吐き出し型賠償制度については、損害賠償が十分でないという意見があったものの、近時の裁判例において高額な損害賠償額が認められる傾向があり、令和元年改正の施行後は裁判例によりいっそうの発展も見込むことができるため、制度の早期導入に慎重な意見が多数であった。今後は、裁判の動向を見守りつつ、その上で更なる法改正が必要であるといった具体的なニーズが高まった時期に、改めて制度の法的根拠や要件などを含め、検討することとするのが適当である。」と結論付けています。また、「二段階訴訟制度」については、「二段階訴訟の早急な立法化を強く求める意見はなかった。むしろニーズを疑問視する意見が多数であり、また仮にニーズがあったとしても、法改正によらず、現行法の下で執り得る手段によってそれを満たすことができるとの指摘があった。したがって、これまでの二段階訴訟についての議論には大いに意義があったものの、今後、実務の動向を踏まえ、具体的なニーズが高まった時期に改めて検討することとするのが適当である。」と結論付けています。
- 知財活用促進に向けた特許制度の在り方(令和5年3月10日 産業構造審議会 知的財産分科会 特許制度小委員会)では、「一事不再理の範囲の拡大」について、「悪意のある繰返し又は不当な蒸返し等の無効審判制度の濫用は防ぐべきであるという意識は共通するものの、現状の裁判例や審判実務により実務上の問題は生じておらず、一事不再理の客観的範囲の拡張を求める意見はなかった。また、裁判例や現行の運用に則して法文で明示することを求める意見もなかった。したがって、現時点では、法改正せず、現状の運用の更なる周知等を行うこととするのが適当である。ただし、今回法改正をしないことが、無効審判制度の濫用を容認することを意味するものではなく、今後、実務の動向を注視しつつ、状況が変化した場合には、本小委員会において改めて検討すべきである。」と結論付けています。
先発メーカーとの特許権侵害訴訟で被告になることが多いジェネリックメーカーの団体だけに、侵害訴訟関係について不利になりそうな方向へ法改正議論が進まないように、念押しの意見を出しているナ。
2.日本製薬団体連合会
日本製薬団体連合会は、以下の項目について要望する意見書を提出しています。
- デジタル時代に対応した著作権制度・関連政策の改革
- デジタルアーカイブ社会の実現
- 医療関係者からの要請に応え製薬企業が行う情報提供にかかる文献の複製に対する権利制限に向けた著作権法改正への審議再開
3つ目の項目については、2009年に起きた民主党への政権交代とそれに伴う大幅な政策方針変更後、本案件に関する検討は具体的な議論の俎上に載せられないまま停滞しているとのことで、法改正への早期審議が再開されるよう要望しています。
「患者の権利に関するリスボン宣言においては、「すべての人は、差別なしに適切な医療を受ける権利を有する」とされている。そのために、医療関係者は、患者が投薬を含めた最善の治療を受ける事が出来るように、最適な医薬品情報を迅速に取得し検討する。その際に必要な情報源は、添付文書やガイドラインを含めた主に学術文献である。これらの学術文献については、最適な情報を迅速に取得するために、医療関係者が自ら調査収集する以外に、製薬企業にその提供を求めることが多い。
多くの製薬企業は、患者が最善の治療を受けることが出来るよう、著作権管理団体と契約を締結し、学術文献の複製物を迅速に提供しようとしているが、製薬企業の自主性に任されているばかりか、著作権管理団体との契約上、コロナ禍においても、紙での利用(複写)しか許諾されず、迅速に提供できない場合や、電子化許諾に高額な費用が発生する場合も少なくない。このような現状は、最適な情報の迅速な提供の障害となり、治療を受ける患者に不利益が生じる可能性が放置されていると考えている。
そこで、上記のような患者の治療を目的として医療関係者の求めに応じて提供される学術文献の複製物の利用に限定する場合については、患者が最善の治療を受ける権利、つまり「国民の生存権」を保障するために、早急に権利制限とする法改正がなされるべきと考える。
・・・当連合会として要望する権利制限の内容は、具体的には次のとおりである。「医療関係者の求めに応じて提供される情報を収集、保管、提供するうえで、合理的に必要な範囲においては、文献等を複製、譲渡および公衆送信するにあたり、権利者の許諾を必要としない。権利者への経済的補償については、通常の使用料相当額の補償金を支払うことによりなされるよう、立法的な手当を講ずることが適当である。」」
3.一般社団法人日本知的財産協会
一般社団法人日本知的財産協会の意見書では、その意見項目の一つとして、日本において臨床試験に関するデータ保護制度を法制化することを要望しています。
「データ保護制度とは、先発品会社が得た知的財産である臨床試験データを一定期間保護する制度です。データ保護制度の下では、医薬品の開発に相当の時間がかかる中、特許期閻が短いあるいは特許が存在しない場合でも、先発品の承認後一定期間後発品は承認されないため(後発品は先発品の臨床試験データを利用できない)、先発品会社は医薬品開発に投資した費用を回収するための一定期間を確保することができます。
医薬品の開発は、10年以上の期間と数百億~数千億円規模の投資が必要な上に、成功確率が低い極めてリスクの高いビジネスです。その成功確率は年々低下しており、20年前 1/1.3万候補品であったものが現在では 1/2.3万候補品になっています。このようなリスクの高い医薬品開発を継続して行うためには、投資した費用を回収することが必須であり、特許が存在しない場合であっても投資費用を一定期回収できることを保証するデータ保護制度は極めて重要な制度です。
TRIPS 協定、日英包括的経済連携協定や日EU経済連携協定において、臨床試験データを保護することが定められており(TRIPS協定第39条;日英包括的経済連携協定第十四章 知的財産、第B節 知的財産に関する基準、第七款 営業秘密及び開示されていない試験データその他のデータ、第十四・四十二条:日EU経済連携協定 第十四章 知的財産。第B節 知的財産に関する基準、第七款 営業秘密及び開示されていない試験データその他のデータ、第十四・三十六条及び第十四・第三十七条)、欧米においてはデータ保護制度が法制化されています。
一方で日本では、データ保護を規定する法律はありません。再審査制度(医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律、第十四の四)が、データ保護の役割も有していると捉える向きもありますが、再審査制度にはデータ保護として明文化されていません。そもそも、再審査制度の目的は承認医薬品の安全性の確認でありデータ保護制度の目的とは全く相違していることから、本来データ保護制度は、再審査制度とは別にして存在するべきものであり、再審査制度から独立したデータ保護制度の創設によってデータ保護の恒久的な安定化が期待されます。
以上のことに鑑みて、欧米と同様に、日本におけるデータ保護制度の法制化を要望します。データ保護が法制化されることで、日本において安定して医薬品を開発するインセンティブが高まることが期待できます。」
欧米はもちろん法制度があり、中国でも法制化されたデータ保護制度。日本では法制化への議論すらされていない。日本だけ新薬を上市する魅力が無い市場となれば、海外メーカーだけでなく国内新薬メーカーもきっと海外優先で、日本での開発はますます後回しにするヨ。ドラッグラグ、ドラッグロスと言われてるけど、新薬を待ち望んでいる日本の患者はどうなる? 薬価制度の問題も含めて日本での新薬開発の意欲を削ぐ状況ばかりで、日本政府はこのままでいいのかナ。
データ保護制度については欧州の状況や米国からの懸念の声について以下記事も参照:
4.日本製薬工業協会
日本製薬工業協会は、わが国おける製薬企業の創薬イノベーションと国際競争力の強化のためには、データ・人工知能(AI)等の利活用を促進することによって、新たな研究開発モデルにチャレンジし、それを事業的な成功に結びつけていくこと、特にバイオ分野の産学連携を促進して行くことが必要であるとして、下記の項目を要望しています。
- データ・人工知能(AI)の利活用促進のための知財制度上の在り方についてのさらなる議論
- AI デジタル関連技術の審査の均質化
- データ保護制度の法制化
- バイオ分野の特性を踏まえた産学連携における知財の取扱い
- 生物多様性条約に関する対応
3つ目の「データ保護制度の法制化」については、前記3.一般社団法人日本知的財産協会の項でも紹介しましたので紹介を省略します。
4つ目の「バイオ分野の特性を踏まえた産学連携における知財の取扱い」について、日本製薬工業協会は、共有特許について第三者にライセンスをすることを可能とするような議論への方向性に懸念を表明し、業界の特殊性や個別案件ごとの背景等を踏まえた知財戦略を立案できるマネジメントの確立こそが必要であると要望しています。
「「大学等と企業との共有特許について、企業が一定期間不実施の場合に、大学等が第三者にライセンスすることが可能となるよう」とのことですが、医薬品の研究開発には多大な時間、マンパワー及び資金を必要とすることから、前記「一定期間」および「不実施」については、各業界特有の状況を理解の上、技術分野ごとに適正な期間および不実施の該当性判断を議論する必要があると考えます。特許権は、医薬品メーカーが研究・臨床試験を通じて行う多額の投資を回収する重要な位置づけであり、企業が安定した権利関係のもと、安心して研究・開発・事業化を進めることができる枠組みが必要不可欠であることをご理解ください。・・・バイオ分野の研究開発及び知的財産の特殊性を十分に理解し、産学双方が個別案件ごとの背景、状況、互いの役割(研究投資を含む)、貢献(経済財的負担を含む)、引き受けるべきリスクの程度などを十分考慮した上で、将来にわたる提携条件、実施およびライセンス条件、経済条件を含めた知財の取り扱いについて、公平の観点から知的財産戦略を立案できる知財マネジメントの確立を要望します。」
5つ目の「生物多様性条約に関する対応」について、日本製薬工業協会は、生物資源のデジタル配列情報(DSI:塩基配列情報を指すと考えられるが、定義及び範囲についてはコンセンサスが得られていない)を生物多様性条約又は名古屋議定書の対象範囲に含めようとする動向及び各国がDSIへのアクセスと利用につき研究開発を阻害するようなルールを策定しようとする動向に対して、国際的な議論において日本政府に責任を果たすよう要望しています。
「研究開発及び当該研究開発成果の利活用の観点からも、生物多様性条約または名古屋議定書をはじめとする国際的な枠組の対象範囲に DSI へのアクセスと利益配分を含めることとならないよう、かかる国際的な枠組みの対象範囲に DSI へのアクセスと利益配分が含まれることが避けられなくなった場合には日本企業による DSI を利用した研究開発への影響を最小限に止められむしろ日本企業によるDSI を利用した研究開発を促進するような枠組みとなるよう、また特許出願明細書への遺伝資源の出所開示が義務化されることとならないよう、パンデミック条約その他病原体に関する国際的な枠組みが日本企業による感染症治療薬・予防薬など医薬品の研究開発、知的財産権や営業秘密の保護等を阻害するものとならないよう、長期的な戦略をもって慎重かつ粘り強く議論を進めるとともに、各国において研究開発を阻害しないような明確かつ安定した法制度が整備されるように、日本政府には国際会議等において締約国・加盟国・研究開発立国としての権限と責任と役割を果たすことを要望します。」
「遺伝資源のデジタル配列情報(DSI)」のアクセスや利益配分の義務がいつ、どのように発生するのか、多国間メカニズムは一体どのようなもので、どのように機能するのかなど、まだまだ議論・解決されなければならない問題が山積み!! 日本政府代表は頑張って交渉してナ。
参考:
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