1.はじめに
本判決(知財高裁令和4年(ネ)10093)は、抗悪性腫瘍剤ハラヴェン®(有効成分: エリブリンメシル酸塩)の後発医薬品の承認申請を行ったニプロ(控訴人)が、エーザイ(被控訴人)が有する本件各特許権による差止請求権及び損害賠償請求権の不存在確認、並びに当該医薬品が本件各発明の技術的範囲に属しないことの確認を求めた控訴審判決である。
知財高裁は、ニプロの後発医薬品の製造販売について承認を得るために申請した段階にあることだけをもって、ニプロの有する権利又は法律的地位に危険又は不安が存在していると認めることはできず、ニプロの各訴えはいずれも訴えの利益を欠くものであるから、これら訴えを却下した原判決は相当であるとして、本件控訴を棄却した。
本事件は、後発医薬品を巡る特許紛争において、「二課長通知」(いわゆる日本版「パテントリンケージ」制度の根拠となっているもの)が裁判所の判断に初めて取り上げられ、ニプロの主張とはいえ、その問題点が指摘されたという点で注目すべきものである。
本事件の背景と原判決の内容の詳細及びコメントについては以下の記事を参照してほしい。
控訴審では、ニプロ及びエーザイ双方からの補充主張はあったものの、知財高裁の判断は、そのほとんどを原判決の記載のとおりとしてこれを引用したものだったため、本記事では、知財高裁の判断において、原判決から改め加えられた部分を一部抜粋して紹介する。
2.知財高裁の判断(原判決から改め加えられた部分の一部抜粋)
(1)争点①(現在の差止請求権の不存在確認請求に訴えの利益があるか。)及び②(現在の損害賠償請求権の不存在確認請求に訴えの利益があるか。)について
原判決25頁17行目の「なお」から20行目末尾までを次のとおり改める。
「なお、仮に二課長通知等に基づく運用によれば、本件各特許が存在するために原告医薬品の製造販売についての厚生労働大臣の承認がされないことが控訴人にとって問題であるとしても、そのことは、厚生労働大臣が医薬品医療機器等法14条3項に基づく原告医薬品の製造販売についての控訴人の承認申請を認めるかどうかという控訴人と厚生労働大臣(国)との間の公法上の紛争であって、そもそも控訴人と被控訴人らとの私人間の法律上の紛争であるということはできないし、かかる公法上の紛争については承認申請に対して不作為の違法確認の訴えの提起や厚生労働大臣等に対する不服申立て等の法的手段によって救済を求めるべきであるから、控訴人の有する権利又は法律的地位の危険又は不安を除去するため控訴人と被控訴人らとの間で本件訴訟において確認判決を得ることが必要かつ適切であると解することもできない。」
ニプロ(控訴人)は、当審において、以下の①②③を主張したが、知財高裁は、ニプロ(控訴人)の主張はいずれも理由がないと判断した。
①ニプロ(控訴人)の主張
「パテントリンケージのシステムが発動するということ自体が、控訴人において、特許権の侵害の有無という法律的地位が問題になっている状況にあることを意味し、現に、「医薬品として原告医薬品が厚生労働省から承認されない」という「控訴人の有する権利又は法律的地位に危険又は不安が存在」している状況にあり、このような状況自体が現在の法的紛争であり、また、パテントリンケージは、あくまでも先発医薬品メーカの特許権が有効で、かつ、後発医薬品がその技術的範囲に含まれることを前提とする制度であり、被控訴人らに対し、裁判所による侵害の有無の判断(確認判決)さえ示されたならば、「医薬品として原告医薬品が厚生労働省から承認されない」という、控訴人の法律的地位に対する危険は除去されるのであるから、確認判決を得ることが必要かつ適切な場合に該当する。」
①裁判所の判断
「控訴人が主張する「医薬品として原告医薬品が厚生労働省から承認されない」という「控訴人の有する権利又は法律的地位」の「危険又は不安」とは、控訴人と厚生労働大臣との間で問題となる事柄であり、控訴人と被控訴人らとの間の「請求権の存否に係る法律上の紛争」に係るものではないし、また、かかる危険又は不安を除去するため控訴人と被控訴人らとの間で本件訴訟において確認判決を得ることが必要かつ適切であると解することもできない。」
②ニプロ(控訴人)の主張
「控訴人は承認申請のため原告医薬品を製造しており、承認後に行う製造行為も事実行為としては同じであって、さらに、控訴人は、原告医薬品が承認され薬価収載さえされれば、すぐに原告医薬品の製造販売を行う意思を有しており、他方、被控訴人らは、現状において権利行使をする意思がないとは述べているが、実際に権利行使を行い得る状況にあり、また、確認の利益は客観的な状況によって判断されるべきであって、被控訴人らの主観によって左右されるべきではないから、侵害の有無を判断すべき客観的な状況が存在する以上、本件における確認の利益は認められるべきである。」
②裁判所の判断
「控訴人と被控訴人らとの間の本件差止請求権及び本件損害賠償請求権の存否について、現に当事者間に紛争が存在し、控訴人の有する権利又は法律的地位に危険又は不安が存しているとは認められないから、本件差止請求権及び本件損害賠償請求権の不存在確認請求に係る本件各訴えについて確認の利益があると認められないと判断したものであって、被控訴人らの主観のみによってこのような結論を導いているわけではない。」
③ニプロ(控訴人)の主張
「二課長通知に基づく実務がTPP11協定(第18・53条2項)に根拠を有するものとして許容されるためには、特許抵触の有無に疑義がある本件のような確認訴訟が提起された場合については、確認の利益を認めて裁判所が実体的な判断を示すことが必要であるなどとして、本件においては確認の利益が認められるべきである。」
③裁判所の判断
「TPP11協定の第18・53条2項は、医薬品の販売承認に当たって、特許抵触の有無に疑義があるとして本件のような特許権侵害に係る確認訴訟が提起された場合に、裁判所が確認の利益を認めて実体的な判断を示さなければならない旨を規定するものではない。」
(2)争点③(将来の差止請求権の不存在確認請求に訴えの利益があるか。)及び争点④(将来の損害賠償請求権の不存在確認請求に訴えの利益があるか。)について
原判決26頁24行目末尾に行を改めて次のとおり加える。
「なお、控訴人は、現在の二課長通知に基づく承認審査の実務において、裁判所が判断すべき技術的範囲の属否について、厚生労働省が機械的な処理を行っているという状況は、法治主義に反する状況というべきであって、後発医薬品メーカの裁判を受ける権利や営業の自由といった憲法上の権利をも侵害するものである旨主張する。
しかし、本件で控訴人が確認を求めている対象は、控訴人と被控訴人らとの間の法律関係であって、仮に上記承認審査の実務に控訴人が指摘するような問題があるとしても、そのことによって、上記法律関係について確認の利益が認められることにはならないというべきである。」
(3)争点⑤(原告医薬品が本件各発明の技術的範囲に属しないことの確認請求に訴えの利益があるか。)について
原判決27頁17行目の「そのことによって」から19行目の「解されない。」までを以下のとおり改める。
「そのことは、前述のとおり、控訴人と厚生労働大臣(国)との間の公法上の紛争であって、そもそも控訴人と被控訴人らとの私人間の法律上の紛争であるということはできないし、かかる公法上の紛争については承認申請に対して不作為の違法確認の訴えの提起や厚生労働大臣等に対する不服申立て等の法的手段によって救済を求めるべきであるから、控訴人の有する権利又は法律的地位の危険又は不安を除去するため控訴人と被控訴人らとの間で本件訴訟において確認判決を得ることが必要かつ適切であると解することもできない。」
3.おわりに
ニプロの後発医薬品はエーザイの特許権を侵害していないとの確認判決を得ることで、厚生労働省にはパテントリンケージを解除して同後発医薬品を承認してもらいたい、というニプロの目論見は成功しなかった。但し、厚生労働省がニプロの後発医薬品を「二課長通知」に基づいて承認しないとの判断に至っているのかどうかは、ブラックボックスであり、明らかでない。
ニプロは、「二課長通知」により、後発医薬品の製造販売について承認を得ることができていないこと(パテントリンケージの発動)を不服に考えるのであれば、知財高裁が指摘したように、「控訴人と厚生労働大臣(国)との間の公法上の紛争・・・については承認申請に対して不作為の違法確認の訴えの提起や厚生労働大臣等に対する不服申立て等の法的手段によって救済を求めるべき」ということになる。
しかし、このような法的手段に訴えたからといって、特許権に関する訴えの専属管轄たる裁判所が判断すべき技術的範囲の属否について、その訴え先の審理の中で判断してくれるとは到底想像できない。本事件で訴えの利益がないとされたことで、ニプロにとっては八方塞がりのようにも思える。
それでもニプロが厚生労働大臣に対して法的手段に出た場合、「課長通知」レベルの現行運用の適法性が問題となって、現行のパテントリンケージシステム自体が否定されるような方向に事態が発展するとしたら、TPP11加盟国である日本は本気でパテントリンケージの法制度化に取り組まざるをえないだろう。
「二課長通知」に基づく後発医薬品の承認可否は、実質上は先発医薬品の特許権の効力が申請された後発医薬品に及ぶかどうかという法律上の問題(裁判で争うような難しい侵害判断)を扱っているにもかかわらず、その判断理由も示されることなく厚生労働省(厚生労働大臣)により判断されているものであることは、先発メーカー側にとっても、大きな懸念事項であるといえる。
特許権の効力を法律上判断する権限のない厚生労働省(厚生労働大臣)がその判断をしているということ(その判断には疑義が生じうる状況であること)に問題があることは明白であり、その判断によって生ずる特許紛争の早期解決のためにも、医薬品の承認を左右することになるこの重要な判断は、透明性・公正性をもって納得のいく形で行われるべきだ。
日本版パテントリンケージ制度の問題点については、以下の記事を参照。
コメント
【メモ】
「かかる公法上の紛争については承認申請に対して不作為の違法確認の訴えの提起や厚生労働大臣等に対する不服申立て等の法的手段によって救済を求めるべきである」
※行政事件訴訟法3条
5 この法律において「不作為の違法確認の訴え」とは、行政庁が法令に基づく申請に対し、相当の期間内に何らかの処分又は裁決をすべきであるにかかわらず、これをしないことについての違法の確認を求める訴訟をいう。
6 この法律において「義務付けの訴え」とは、次に掲げる場合において、行政庁がその処分又は裁決をすべき旨を命ずることを求める訴訟をいう。
一 行政庁が一定の処分をすべきであるにかかわらずこれがされないとき(次号に掲げる場合を除く。)。
二 行政庁に対し一定の処分又は裁決を求める旨の法令に基づく申請又は審査請求がされた場合において、当該行政庁がその処分又は裁決をすべきであるにかかわらずこれがされないとき。
※行政不服審査法3条
(不作為についての審査請求)
法令に基づき行政庁に対して処分についての申請をした者は、当該申請から相当の期間が経過したにもかかわらず、行政庁の不作為(法令に基づく申請に対して何らの処分をもしないことをいう。以下同じ。)がある場合には、次条の定めるところにより、当該不作為についての審査請求をすることができる。
2024年8月15日、抗悪性腫瘍剤ハラヴェン®(有効成分: エリブリンメシル酸塩)の後発医薬品(エリブリンメシル酸塩静注液 1mg「ニプロ」)が承認されました。
2024.08.15 ニプロ press release: ジェネリック医薬品 3 成分 4 品目の製造販売承認取得
https://www.nipro.co.jp/assets/document/newsrelease/240815.pdf
厚生労働省がパテントリンケージを今回解除した根拠は何なのでしょうか。
2024年9月2日、日医工株式会社は、エリブリンメシル酸塩静注液 1mg「日医工」について2024年12月の発売予定であることを発表しました。本剤は、先発医薬品ハラヴェン®静注 1mg の製造販売元であるエーザイ株式会社より許諾を得たオーソライズド・ジェネリックであることを明らしました。
2021年2月15日、エリブリンメシル酸塩静注液1mg「日医工」は、単独での初のハラヴェン®の後発医薬品として承認されていました(「2022.08.30 「ニプロ v. エーザイ」 東京地裁令和3年(ワ)13905 特許権侵害差止請求権及び損害賠償請求権の不存在確認請求事件・・・抗悪性腫瘍剤ハラヴェン®(エリブリン)の後発医薬品申請時点における訴えの利益」参照)。