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生物多様性条約・名古屋議定書で定める遺伝資源の利用から生ずる利益の公正かつ衡平な配分(ABS): 「遺伝資源」にデジタル配列情報(DSI)は含まれることになるのか

現在、生物多様性の新たな世界目標「ポスト2020生物多様性枠組」の国際議論において大きな課題となっているひとつが、遺伝資源の利用から生ずる利益の公正かつ衡平な配分(ABS)の枠組のなかで、DNAの塩基配列を一例とするデジタル配列情報(DSI)をどのように扱うかという問題です。

今後の国際議論の行方によっては、ライフサイエンス分野の研究開発に大きな影響が出てくる可能性があります。

本記事では、遺伝資源の利用から生ずる利益の公正かつ衡平な配分(ABS)について、生物多様性条約、その条約下の名古屋議定書、さらに、ABSの枠組みにおけるデジタル配列情報(DSI)の国際議論の現状を簡単にまとめました。

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1.生物多様性条約と名古屋議定書

(1)生物多様性条約と名古屋議定書

生物多様性条約(Convention on Biological Diversity、「CBD」ともいう。)は、①生物多様性の保全、②その構成要素の持続可能な利用、そして、③遺伝資源保有国とその保有する遺伝資源を利用して利益を得る国との間の利害調整を図るための、遺伝資源の利用から生ずる利益の公正かつ衡平な配分(Access to genetic resources and Benefit-Sharing、「ABS」という。第1条及び第15条。)、を目的として1992年5月に採択され、1993年12月に発効しました(CBD条約英文; 和文)。

そして、名古屋議定書(正式名称:生物の多様性に関する条約の遺伝資源の取得の機会及びその利用から生ずる利益の公正かつ衡平な配分に関する名古屋議定書)は、2010年10月に日本が議長国を務めた第10回生物多様性条約締約国会議において、そのABSルールをきちんと実施するための遺伝資源の提供国及び利用国がとるべき具体的な手続きを定めるものとして採択され、2017年8月10日に日本でも発効しました(議定書英文; 和文)。

なお、米国は、生物多様性条約、名古屋議定書ともに締結していません。

(2)遺伝資源とは

生物多様性条約・名古屋議定書では、国外に由来する生物はその国が権利を持つ遺伝資源とされ、外国人(利用国)によるアクセスには提供国の政府許可が求められます。

また、その研究から生じる利益は、利用国と提供国との間で適正に配分することとされました。

では、遺伝資源とは何なのでしょうか。

生物多様性条約では遺伝資源は「遺伝の機能的な単位を有する植物、動物、微生物、その他に由来する素材のうち、現実の又は潜在的な価値を持つもの」と定義されています。

Convention on Biological Diversity 生物多様性条約

Article 2. Use of Terms 第2条 用語

“Genetic material” means any material of plant, animal, microbial or other origin containing functional units of heredity.「遺伝資源」とは、現実の又は潜在的な価値を有する遺伝素材をいう。

“Genetic resources” means genetic material of actual or potential value.「遺伝素材」とは、遺伝の機能的な単位を有する植物、動物、微生物その他に由来する素材をいう。

これを簡単に言い換えると、「遺伝資源=全ての生物 (ウイルス等を含む)」となります。

但し、遺伝子配列情報自体がABSの「遺伝資源」として対象となるのかどうかについては明確に定義されていません(インドネシア、マレーシア、ブラジルなど、配列情報を対象とする国内法を持つ国もあるようです。)。

(3)ウイルス等の病原体共有に関する複数の国際枠組み

生物多様性条約・名古屋議定書で規定する遺伝資源でもあるウイルス等の病原体に関しては、情報共有という観点から、例えば以下に挙げられるパンデミック対策のための複数の国際枠組みも関係してきます。

  • WHOのPandemic Influenza Preparedness Framework(PIP flamework; パンデミックインフルエンザ事前対策枠組み): 2011年の第64回WHO総会(WHA64)において採択された枠組み。人にパンデミックを起こしうるインフルエンザウイルス(IVPP:Influenza virus with human pandemic potential)のみを対象としており、季節性インフルエンザや、ほかの病原体は対象でない。
  • WHOのGISRS(Global Influenza Surveillance and Response): ①季節性、人畜共通、パンデミックインフルエンザを対象とするサーベイランス、事前準備と対応するグローバルな機能、②インフルエンザの疫学・疾患のモニタリングするプラットフォーム、③新規のインフルエンザウイルスや呼吸器感染症病原体のアラートを発することを目的としている。
  • WHO BioHub: 2021年に設立され、現在議論中のWHOにおける今後のパンデミック対応の強化枠組み。

名古屋議定書は、生物多様性条約第15条の規定の範囲内の遺伝資源について適用されますが(第3条)、名古屋議定書の目的と適合するABSに関する他の専門的な国際文書が対象とする特定の遺伝資源に関しては、当該国際文書の締約国については適用されないと規定しています(第4条4項)。また、名古屋議定書は、現行の国際協定に基づく締約国の権利義務に影響を及ぼすものではないが、このことは名古屋議定書と他の国際文書との間に序列を設けることを意図しないと規定しています(第4条1項)

なお、名古屋議定書は、遺伝資源の提供国としてABS法令等を定め、実施するに当たり、各締約国は、アクセスと利益配分に関する自国の法律又は規制要件を策定し実施する際に、(a) 非商業目的の研究、(b) 国内又は国際的に定められる現在の又は急迫した緊急事態であって、ヒト、動物又は植物の健康を脅かす緊急事態、(c) 食料農業用遺伝資源の重要性及びそれが食料の安全保障に果たす特別な役割、に対する特別な考慮を行うこと、と規定しています(第8条)。 

パンデミック対策としての病原体の共有という国際枠組みとABSルール、両方とも実際に実現しようとするには、様々な検討と調整が必要でしょうし、果たしてどのような形で実現できるのでしょうか・・・実現するにはまだまだ長い道のりのように思われます。

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2.デジタル配列情報(DSI)は「遺伝資源」に含まれるのか

前述したように、生物の遺伝子の塩基配列情報自体はABSルールで定める遺伝資源の対象であるのかどうかについては明確に定義されていません。

近年は、遺伝資源の保有国に行かなくても、遺伝資源の塩基配列がデジタル化された「情報」として公共のデータベースに掲載されており、インターネットを介して取得・利用できてしまうことから、2016年12月に開催された生物多様性条約・名古屋議定書第2回締約国会合において、開発途上国側から、遺伝資源の定義にはDNAの塩基配列を一例とするデジタル配列情報(DSI)も含まれるとしてその利用に対価を支払う制度を求める主張がなされました(CBD/NP/MOP/2/13)。

それ以降、遺伝資源の定義にはDSIも含まれるのかどうか、DSIを利益配分の対象とするのかどうか、どのような仕組みとするのかの激しい議論が続いています。

2022年6月21日〜26日にケニア共和国ナイロビにて開催されたポスト2020生物多様性枠組第4回公開作業部会(OEWG4)の報告書(CBD/WG2020/4/4及び2022年6月30日 国立遺伝学研究所ABS学術対策チーム報告書)によると、アフリカグループからは、遺伝資源利用の商業化からの売上げの1%の利益配分を行う多数国間メカニズムの主張が繰り返されていること、南米グループからは DSIのトレーサビリティーや、利益配分システムのハイブリッド案が主張されていることが報告されています。

日本からは「DSIに関する議論は、研究およびイノベーションに不可欠なオープンアクセスに影響を与えるものである。」などのステートメントが表明されたとのことですが、議論は並行線のままであり、開発途上国側の意見はさらに強いものとなっているようです。

近い将来、国外に由来する生物(ウイルス等を含む)自体を入手しなくても、その生物の遺伝子の塩基配列のデジタル情報自体を利用すれば、その研究、さらにその研究から派生した医薬品等の製品によりもたらされる利益も、遺伝資源の保有国に配分する国際的な枠組みができるかもしれません。

そうなると、配分を目的にDSIへの自由なアクセスが阻害されてしまう可能性への懸念や、複雑かつ多大な手続作業や利益配分といったライフサイエンス研究への過度の負担など、研究機関やライフサイエンス産業における研究開発にとって大きな負の影響が生じることになると思われます。

12月7日~19日にはカナダ・モントリオールにて生物多様性条約第15回締約国会議(COP15)(第二部)が開催されますが、この会議にて、「ポスト2020生物多様性枠組み」においてDSIをどう扱うかという問題について一定の合意がなされる予定のようです。

このような状況で、個人的に気になるのは、パンデミックを引き起こすようなウイルス等の病原体の遺伝資源及びDSIの扱いです。

将来起こり得るパンデミックという緊急事態に対応するために、ウイルス等の病原体の情報へのアクセスが妨げられてはいけません。

苦しんでいる患者に一刻も早く感染予防策、診断薬、ワクチン、医薬品を届けるためにも、世界中の研究機関や製薬企業が協力して迅速な研究開発に邁進できるように(そのインセンティブを大きく削ぐことのないように)、世界各国の代表の方々には適切な国際枠組み(取組み)の構築を目指してほしいと切に願います。

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3.参考

生物多様性条約

名古屋議定書

関係省庁

その他

コメント

  1. Fubuki Fubuki より:

    弘前大学(弘前大学研究・イノベーション推進機構)にブログ記事を取り上げて頂きました。ありがとうございます。
    ABSニュース配信9/23
    https://www.innovation.hirosaki-u.ac.jp/abs-news-20220923

  2. 匿名 より:

    貴重な情報をありがとうございます。大変わかりやすくまとめてくださっていて、とても勉強になりました。

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