1.はじめに
特許庁は、知財情報を活用した経営の普及・定着に貢献するべく、IPランドスケープの取り組みの現状を可視化し広く共有することを目的として調査研究を実施し、令和2年度 特許庁産業財産権制度問題調査研究報告書「経営戦略に資する知財情報分析・活用に関する調査研究」(令和3年3月 一般財団法人 知的財産研究教育財団 知的財産研究所)を2021年4月21日に公表した。
2021.04.21 特許庁:「経営戦略に資する知財情報分析・活用に関する調査研究」について
資料編に掲載されているヒアリング調査の結果には、医薬・製薬・バイオ業種の例として、塩野義製薬株式会社(以下、「塩野義」という。)におけるIPランドスケープの取り組みの背景や状況等が掲載されているので以下に取り上げる。
2.IP ランドスケープに取り組む背景
塩野義は、「強みである低分子創薬を軸にしながら、新たに特殊ペプチド創薬に取り組むとともに、IT 産業を含む多様なパートナーとの連携を深めて新たなモダリティの拡充や新技術の獲得を進めることで、イノベーションと医療経済性を兼ね備えた新薬を創出し続けて」おり、「IPランドスケープの活動を始めるにあたって、経営層の理解は不可欠である」と回答している。
同社は、2017年7月の新聞報道により初めて IPランドスケープという用語を知った。同社ではそれまで低分子創薬の取り扱いが多かったが、経営層や研究開発部門が関心を寄せていた中分子創薬について、知財情報により技術動向を俯瞰し、何らかの提案や示唆が出来ればといった漠然としたイメージを持ち、IPランドスケープの取組に着手した(この時は IPランドスケープに関する知見が不足していたこと、中分子創薬の分野の出願内容や件数からみて、当時の特許解析ツールやスキルでは対応できなかったと思われることもあり、十分な成果を上げることができなかった。)。
その後、今後の知財部門の在り方について検討するにあたり、知財情報の利活用について一層取り組んでいかなければならないという認識に至り、各社が実践しているIPランドスケープに本格的に取り組んでいくべきと考えた。
また、2020年4月に知財部門が経営戦略本部の傘下に入り、経営層や研究部門等の種々の部門に対してのコンサルタントとしての役割が期待されていることから、IPランドスケープの取組に拍車がかかった。
その当時、どのような分野であればIPランドスケープが活用できるのかといったことを考えていたところ、経営層が HaaS(Healthcare as a Service)に舵を切ることを決めたことをきっかけに、現在ではHaaS分野に関するIPランドスケープに注力している。
「経営戦略に資する知財情報分析・活用に関する調査研究」(令和3年3月 一般財団法人 知的財産研究教育財団 知的財産研究所)より
3.IPランドスケープへの取り組み体制
塩野義におけるIPランドスケープ活動の体制は以下のとおり。
- 知財部員20名程度の内、IPランドスケープの担当者は実質2名(知的財産アナリストの有資格者はいない)
- 1つのプロジェクトに知財部員をアサインし、研究・開発・営業といった一連のプロジェクトをフォロー
- IPランドスケープ活動は、IPランドスケープの知財部担当者が、R&D担当者やプロジェクトにアサインされている知財部員の意見を聞きながら進める
- 知財部門から他部門に、社内・社外のIPランドスケープの成功事例や具体的プランを持ってIPランドスケープの活動を周知・働きかけ、他部門からIPランドスケープのニーズ掘り起こし
4.成果
塩野義は、IPランドスケープの取り組みの成果として以下を挙げている。
- 他社との連携についてのFTO調査依頼をIPランドスケープに展開
- 研究開発部門から、ある研究テーマについて他社や大学と連携希望があった場合、知財部門が適切な連携先を知財情報から解析、アライアンス部門とも連携し評価
- 知財情報を通して競合他社の動向を把握、同社の知財戦略の妥当性の確認に役立て、研究開発部門に競合他社の動向を共有
- デジタル分野においてどのような知財をいつまでに創出すべきかを上層部に提案
5.今後の展望
塩野義は、IPランドスケープの取り組みの今後の展望として以下を挙げている。
- アライアンス探索への活用(将来は知財部門からアライアンス先を提案)
- デジタルやバイオ関係の新たな分野についての活動を進める(低分子創薬の領域は成熟分野のため取り組む可能性はほぼ無い)
- ツールベンダー、コンサル、特許事務所との相談
- 2024年頃までに一定レベルの報告書を出すことを目標
- 異業種にどのように発明が応用されるのかを意識した知財情報の調査・分析を模索・強化
6.おわりに
自社ビジネスを推進するためには、自社を取り巻くビジネス環境を分析することが必須であり、そのような外部環境を分析するための情報において、知的財産情報はそのひとつ。知的財産情報を専門的に扱える立場にある知的財産担当部門は、その情報を活用することによってproactiveなビジネス貢献をすることも期待されている。
業界特性や自社の経営環境・事業課題によって、外部環境に関して期待される情報活用のニーズやその視点の広さ・深さ・時間軸等は異なるだろうから、いわゆる「IPランドスケープ」の具体的活動は、業界によって、また企業によって異なるのは当然であり、広く共通化できるものではない。そのため、ヒアリング調査報告に掲載された各企業の取り組みの具体的なところは、企業により、興味深い部分もあるだろうし、当てはまららない部分もあるだろう。自社の課題に応じて活動の参考にすればよいだろう。
特許一件の価値(脅威)が極めて高い製薬業界では、知的財産情報、特に特許情報を、サイエンス(学術論文・学会情報)、マーケット情報、投資等専門調査会社からのレポート、IRミーティング資料や企業トップのインタビュー記事、規制当局からの情報、法律や政策動向などの多岐にわたる情報とも併せて自社事業のインテリジェンスの一部としていち早く日々の事業活動(の大方針であったり小方針であったり)に活用することは必須であるし、インテリジェンス活動は企業の将来の成功且つ競合優位性(高くない成功確率の研究開発へ莫大な先行投資をするという経営判断)を左右する戦略の要であることから、そのような具体的活動事例は公けにはおそらく絶対に出てこないものだと思われる。製薬企業の知財活動・体制の具体的内情が公表されることは他業界に比べて多くないことから、その意味で今回の塩野義へのヒアリング調査報告は貴重なものといえるかもしれない。ただし、その報告内容は、製薬企業にとって見れば、経営・事業の方針を支える企業活動の一端でしかなく、当たり前のことに見える部分もあるかもしれないし、参考になる部分もあるかもしれない。
参考: 2020.10.30 特許庁「塩野義製薬株式会社と意見交換を行いました」
10月21日、糟谷長官は、塩野義製薬株式会社の手代木社長と知財戦略等について、意見交換を行いました。
「知財は製薬会社の経営の根幹」という理念のもと、知的財産部を経営戦略本部の直下に位置づけ、アライアンスパートナーの選定にIPランドスケープを活用する等、知的財産部が経営戦略に沿った社内コンサル業務を担っていることなど興味深くうかがいました。
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