職務発明譲渡対価請求事件(アステラス(旧・藤沢)がライセンスしてバイエルが製造販売するペット用駆虫剤): 大阪地裁平成28年(ワ)4107
【背景】
アステラス製薬(旧・藤沢薬品)(被告)の従業員であった原告(P1)が職務発明の譲渡対価を請求した事案。
被告は、バイエルとライセンス契約を締結し、バイエルから、一時金の支払を受けたほか、本件特許(第2874342号)に係る本件化合物(PF156742、一般名エモデプシド)を有効成分の一つとして含有するペット用駆虫剤をバイエルが製造販売していることによるロイヤルティの支払も受けている。
平成14年に原告からの通知を受けて被告は原告との協議を開始し、平成15年に当時の社内職務発明実績補償規則(「平成15年施行規則」)に基づく補償金として職務発明譲渡対価を原告が受領する等の合意をした確認書(「本件確認書」)が作成され、その後、被告から原告に補償金が支払われてきた経緯がある。
原告は平成16年度以降の相当の対価の未払分の一部等の支払いを請求した。
【要旨】
主文
1 被告は,原告に対し,4728万4116円及びこれに対する平成28年2月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。(他略)
裁判所の判断
1 争点1(不起訴の合意の成否)について
「被告は,原告が藤沢薬品との間で,本件確認書において,本件請求権の全部につき不起訴の合意をしたと主張している。これに対し,原告は,本件確認書の射程は,平成15年1月末までの期間分にしか及んでいないと主張し,被告の主張を争っている。・・・本件確認書では,「『本件請求』に基づ」く訴訟等の行為は行わないと明記され,「本件請求」の意義については,「原告が藤沢薬品に対して平成14年7月15日付通知書にて行った,FR156742の発明…に関する特許法35条3項所定の『相当の対価』の請求」と明記されているにすぎず,本件請求権の全部が不起訴の合意の対象であることが明示されているわけではない。したがって,本件確認書の文言だけから直ちに,原告の有する本件請求権の全部について不起訴の合意がされたと認めることはできず,・・・本件確認書の「本件請求」の具体的内容・・・そして・・・経緯に照らすと・・・不起訴の合意がされたのは,藤沢薬品が本件発明により受けるべき利益のうち,平成15年1月までのものを基に算定した相当の対価請求についてであって,被告が主張するように,原告の有する本件請求権の全部について不起訴の合意がされたとまで認めることはできない。
・・・被告は,本件請求権全てを上記合意によって解決することは,本件請求権の全てが時効によって消滅するリスクのあった当時の原告にとって合理性があったなどと主張している。・・・しかし,債権の一部について催告をすると,債権全部について催告(民法153条)の効力を有すると解されることに加え,本件通知書に対して藤沢薬品が消滅時効を援用する態度を示さず,むしろ将来にロイヤリティ収入が得られた場合の増額も提示していたことからすると,原告が消滅時効の心配をすることなく本件確認書を作成したとしても不合理ではなく,被告主張のように考えなければ合理性がないとまでいうことはできない。・・・したがって,被告の上記主張を採用することはできない。以上より,被告の不起訴の合意に関する主張には理由がない。」
2 争点3(和解契約の成否)について
「・・・前記1の認定・判示によれば,本件確認書が和解の合意を含むものであったとしても,その対象は,藤沢薬品が平成15年1月までに受けるべき利益に基づく相当の対価請求についてであって,被告が主張するように,それ以後に藤沢薬品が受けるべき利益に基づく相当の対価について,原告が平成15年施行規則をはじめとした社内規程により算定される範囲内での請求権を有し,その余の請求権を放棄する旨合意されたとまで認めることはできない。したがって,被告の和解契約に関する主張には理由がない。」
3 争点4-1(消滅時効の成否-本件請求権の消滅時効の起算日)について
「・・・特許法35条3項に基づく相当の対価の支払請求権について「権利を行使することができる時」(民法166条1項)とは,本件のように発明の時点で職務発明に対する補償金に関する社内規程が存在しない場合には,期限の定めのない債権であるから,特許を受ける権利を譲渡(承継)した時と解するのが相当である。そうすると,本件における消滅時効の起算点は次のとおりとなり,中断事由等がない限り,この日から10年が経過することによって,消滅時効が完成することになる。
ア 本件特許に係る物質発明,用途発明並びに請求項10及び11記載の製法発明:遅くとも本件基礎出願2の出願日である平成4年10月15日
イ 本件特許に係る請求項9記載の製法発明:遅くとも本件特許の出願日である平成5年3月8日
・・・本件で被告は特に中断事由を主張していない(なお,原告は平成14年7月15日,藤沢薬品に対して本件通知書を交付して相当の対価を請求したが,その後6か月以内に裁判上の請求等(民法153条)をしなかった。)から,上記(1)ア及びイの日から10年が経過したことによって消滅時効が完成したことになる。そこで,次に,被告が本件請求権について消滅時効を援用することが許されるか(争点4-2)が問題となる。」
4 争点4-2(消滅時効の成否-被告が本件請求権について消滅時効を援用することは信義則に反するか)について
「・・・これらの事実からすると,藤沢薬品及び被告は,本件特許に係る相当対価請求権の消滅時効の完成時期について認識を有していたと推認され,それにもかかわらず,本件確認書を作成するに当たり,将来にロイヤリティ収入があった場合には補償金額が増額される旨を回答し,また,全ての発明との関係で対価請求権の消滅時効が完成した後も,支払額について原告との間で争いがあったにもかかわらず,平成15年施行規則及び平成17年の職務発明規程に基づき,実施による利益の有無等の検討を行った上で,実施補償としての支払を行い,又は提示したということができるから,藤沢薬品及び被告は,これらの一連の行為により,原告をして消滅時効を援用しないと信頼させる行動をとったというべきであり,本件の対価請求権の消滅時効の完成後の補償金(これは特許法35条3項に基づく相当な対価としての性質を有する。)の支払ないし支払提示により本件請求権に係る債務を承認したと認めるのが相当である。・・・以上より,被告が本件請求権について消滅時効を援用することは信義則に反し許されない。」
5 争点5(平成29年以降の利益を基礎とする相当の対価の請求の可否)について
「被告は,本件請求権のうち,将来の実施料収入(平成29年以降)を算定基礎とする部分は,弁済期未到来であるから,将来の給付の訴えであるなどと主張し,その部分の請求に係る訴えの却下を求めている。しかし,前記3の認定・判示によれば,平成15年施行規則によって本件請求権に新たに期限が付与されたとは認められないから,被告の主張は採用できない。したがって,原告は,被告に対し,本件で本件特許の存続期間満了までに藤沢薬品及び被告が受けるべき利益に基づく相当な対価の支払請求をすることができる。」
6 争点2(本件発明に係る相当の対価の額)について
「・・・以上の認定・判示をふまえると,特許法35条3項又はその類推適用に基づく平成16年4月1日以降に藤沢薬品及び被告が受けるべき利益を基礎とする相当の対価の額は,次のとおり●(省略)●円である。
(計算式) ●(省略)●円×0.075(発明者貢献割合(1-使用者貢献割合0.925))×0.8(原告の発明者間貢献割合)=●(省略)●円(1円未満は四捨五入)
他方で,原告は,被告から本件請求に係る期間に対応する平成15年施行規則に基づく補償金として,平成21年3月に●(省略)●円の支払を受け,これは弁済に当たるから,上記認定の相当の対価の額から控除すべきである。そうすると,原告が被告に対して請求することができる相当の対価の額は,4728万4116円となる。」
【コメント】
平成16年改正前の特許法35条では、使用者等(会社)が勤務規則等に基づいて職務発明の対価を従業者等(発明者)に支払っていた場合であっても、その社内規則に法的拘束力はなく、従業者等は「相当の対価」との差額を事後的に請求できるとされていた。
その結果、使用者等は、従業者等から事後的に「相当の対価」との差額を請求されれば、裁判所による算出判断に従わざるを得なかった(つまり社内職務発明規則で相当の対価額を定めても無意味と化すという問題があった)。
平成16年法改正及び平成27年法改正を経て、特許法35条においては手続面を重視して法的予見可能性を向上させる改正がされてきた。
本事案で適用される特許法35条は平成16年改正前のものだったが、原告発明者と被告アステラス(旧・藤沢薬品)との協議の過程や書面内容などはリアルであり、現在の職務発明に関連する実務にも参考になるだろう。
本事案において、使用者貢献割合について、原告は80%(契約一時金)又は70%(実施料)と主張し、被告は99%を下回ることはないと主張したが、裁判所は92.5%と認めるのが相当であると判断した。
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