医薬特許に対する先使用権の抗弁が認められなかった事例(控訴審): 知財高裁平成29年(ネ)10090
【背景】
東和薬品(控訴人・原審被告)がピタバスタチンCa・OD錠4mg「トーワ」(被告製品)を製造等する行為は興和(被控訴人)が保有する特許権(第5190159号)を侵害すると主張して、興和が被告製品の製造等の差止及び廃棄を求めた事案。原審は、東和薬品は先使用権を有するとは認められず、本件発明2についての特許が特許無効審判により無効にされるべきものとも認められないとして、興和の請求をいずれも認容した。
原審: 2017.09.29 「興和 v. 東和薬品」 東京地裁平成27年(ワ)30872
請求項1:
次の成分(A)及び(B):
(A)ピタバスタチン又はその塩;
(B)カルメロース及びその塩、クロスポビドン並びに結晶セルロースよりなる群から選ばれる1種以上;
を含有し、かつ、水分含量が2.9質量%以下である固形製剤が、気密包装体に収容してなる医薬品。
請求項2(本件発明2):
固形製剤の水分含量が1.5~2.9質量%である、請求項1記載の医薬品。
【要旨】
裁判所は、東和薬品(控訴人)は本件発明2に係る特許権について先使用権を有するとは認められず、本件発明2に係る特許が特許無効審判により無効にされるべきものとも認められないから、興和の請求は理由があると判断した。
争点1(控訴人は先使用権を有するか)について
控訴人は、
「本件出願日までに,本件2mg錠剤及び本件4mg錠剤のサンプル薬を製造し,治験を実施していたことをもって,控訴人は発明の実施である事業の準備をしている者に当たり,本件発明2に係る特許権について先使用権を有する」
と主張した。
裁判所は、
「特許法79条にいう「発明の実施である事業…の準備をしている者」とは,少なくとも,特許出願に係る発明の内容を知らないで自らこれと同じ内容の発明をした者又はこの者から知得した者でなければならない(最高裁昭和61年(オ)第454号)。よって,控訴人が先使用権を有するといえるためには,サンプル薬に具現された技術的思想が本件発明2と同じ内容の発明でなければならない。・・・サンプル薬に具現された技術的思想が本件発明2と同じ内容の発明であるといえるためには,まず,本件2mg錠剤のサンプル薬又は本件4mg錠剤のサンプル薬の水分含量が1.5~2.9質量%の範囲内にある必要がある」
として、この点について検討した結果、以下の認定により、サンプル薬の測定時の水分含量が本件発明2の範囲内であるからといって、4年以上も前の製造時の水分含量も本件発明2の範囲内であったと推認できるものではないと判断した。
- サンプル薬の製造時から測定時まで4年以上もの期間が経過していた。
- サンプル薬には本件発明2と同様に極めて吸湿性の高い崩壊剤が含まれ、サンプル薬の水分含量は容易に増加し得るものであった。
- サンプル薬と、実生産品やサンプル薬の再製造品が同一工程により製造されたものとは認められないから、サンプル薬の測定時の水分含量が製造時の水分含量とほぼ同じであったということはできない。
裁判所は、仮に、本件2mg錠剤のサンプル薬又は本件4mg錠剤のサンプル薬の水分含量が1.5~2.9質量%の範囲内にあったとしても、以下のとおり、サンプル薬に具現された技術的思想が本件発明2と同じ内容の発明であるということはできないと判断した。
「本件発明2は,ピタバスタチン又はその塩の固形製剤の水分含量に着目し,これを2.9質量%以下にすることによってラクトン体の生成を抑制し,これを1.5質量%以上にすることによって5-ケト体の生成を抑制し,さらに,固形製剤を気密包装体に収容することにより,水分の侵入を防ぐという技術的思想を有するものである。」
「・・・控訴人は,本件出願日前に本件2mg錠剤のサンプル薬及び本件4mg錠剤のサンプル薬を製造するに当たり,サンプル薬の水分含量を1.5~2.9質量%の範囲内又はこれに包含される範囲内となるように管理していたとも,1.5~2.9質量%の範囲内における一定の数値となるように管理していたとも認めることはできない。」
「・・・以上のとおり,本件発明2は,ピタバスタチン又はその塩の固形製剤の水分含量を1.5~2.9質量%の範囲内にするという技術的思想を有するものであるのに対し,サンプル薬においては,錠剤の水分含量を1.5~2.9質量%の範囲内又はこれに包含される範囲内に収めるという技術的思想はなく,また,錠剤の水分含量を1.5~2.9質量%の範囲内における一定の数値とする技術的思想も存在しない。そうすると,サンプル薬に具現された技術的思想が,本件発明2と同じ内容の発明であるということはできない。」
従って、裁判所は、控訴人は発明の実施である事業の準備をしている者には当たらないから、本件発明2に係る特許権について先使用権を有するとは認められないと判断した。
争点2(本件発明2に係る特許は特許無効審判により無効にされるべきものか)について
「乙7発明において,少なくとも,相違点②のうち水分含量の下限値に関する部分に係る本件発明2の構成を採用することは,当業者が容易に想到し得たものということはできない。したがって,本件発明2は,乙7発明に周知の技術事項を適用することにより,容易に発明をすることができたということはできないから,本件発明2に係る特許は,特許無効審判により無効にされるべきものとは認められない。」
【コメント】
裁判所は、まず、4年以上も前のサンプル薬の水分含量が本件発明2の範囲内であったと推認できるものではないと判断した。この点は、実務上の問題点は残るものの(過去記事: 2017.09.29 「興和 v. 東和薬品」 東京地裁平成27年(ワ)30872参照)、推認できないのであれば先使用権が認められないという判断は妥当であろう。
なお、裁判所は、「仮に、本件サンプル薬の水分含量が1.5~2.9質量%の範囲内にあったとしても・・・」と、一歩踏み込んだ想定をしたとしても、本件発明2に係る特許権について先使用権を有するとは認められないとも判断した。すなわち、
「・・・(最高裁昭和61年(オ)第454号)。よって,控訴人が先使用権を有するといえるためには,サンプル薬に具現された技術的思想が本件発明2と同じ内容の発明でなければならない」
という要件を示して、サンプル薬の水分含量には着目されていなかったというほかないと認定し、「サンプル薬に具現された技術的思想が本件発明2と同じ内容の発明であるということはできない」から、結果、控訴人は発明の実施である事業の準備をしている者には当たらないと判断した。
判決は、ウォーキングビーム事件最高裁判決(最高裁昭和61年(オ)454 )を引用しているが、この最高裁判決で言及された「具現されている技術的思想」は、下記のとおり、先使用権者が自己のものとして支配していた発明の範囲において先使用権を認めるという先使用権の効力範囲を解釈するための文脈で用いられた言葉である。本判決で言及された「具現された技術的思想」の同一性が先使用権の要否判断の一つであると直接説示しているわけではない(先使用の発明が特許発明を実施する(形式上侵害行為となる)ことになる場合であっても、利用発明の関係などのように両者の技術的思想が同一でない場合はあるだろう)。
「先使用権の効力は、特許出願の際(優先権主張日)に先使用権者が現に実施又は準備をしていた実施形式だけでなく、これに具現された発明と同一性を失わない範囲内において変更した実施形式にも及ぶものと解するのが相当である。けだし、先使用権制度の趣旨が、主として特許権者と先使用権者との公平を図ることにあることに照らせば、特許出願の際(優先権主張日)に先使用権者が現に実施又は準備をしていた実施形式以外に変更することを一切認めないのは、先使用権者にとつて酷であつて、相当ではなく、先使用権者が自己のものとして支配していた発明の範囲において先使用権を認めることが、同条の文理にもそうからである。」
一方、上記一歩踏み込んだ想定をした場合について、原審(東京地裁)判決での結論の持っていき方は異なる。
「この点を措くとしても,・・・本件出願日までに,本件2mg製品及び被告製品(本件4mg製品)の内容が,本件発明2の構成要件E(固形製剤の水分含量が1.5~2.9質量%である)を備えるものとして,一義的に確定していたと認めることはできず,本件発明2を用いた事業について,被告が即時実施の意図を有し,かつ,その即時実施の意図が客観的に認識される態様,程度において表明されていたとはいえないから,被告に先使用権が成立したということはできない。」
原審は、発明構成要件の一義的確定有無・即時実施意図有無といった主体的要件を論じること(最高裁昭和61年(オ)454)で適否判断しており、わかりやすい。
先使用権制度の趣旨が、主として特許権者と先使用権者との公平を図ることにあることに照らせば、特許法79条の「その発明の実施である事業の準備」のあてはめは慎重に検討されたほうがよいのではないだろうか。
特許法第79条(先使用による通常実施権)
特許出願に係る発明の内容を知らないで自らその発明をし、又は特許出願に係る発明の内容を知らないでその発明をした者から知得して、特許出願の際現に日本国内においてその発明の実施である事業をしている者又はその事業の準備をしている者は、その実施又は準備をしている発明及び事業の目的の範囲内において、その特許出願に係る特許権について通常実施権を有する。
参考:
- 興和、東和の「リバロ」後発品特許訴訟で勝訴
- 原審: 2017.09.29 「興和 v. 東和薬品」 東京地裁平成27年(ワ)30872
- ウォーキングビーム事件最高裁判決 1986.10.03 最高裁昭和61年(オ)454
判示事項
一 特許法七九条にいう発明の実施である事業の準備の意義
二 先使用による通常実施権の範囲裁判要旨
一 特許法七九条にいう発明の実施である事業の準備とは、特許出願に係る発明と同じ内容の発明につき即時実施の意図があり、かつ、その意図が客観的に認識されうる態様、程度において表明されていることをいう。
二 先使用による通常実施権は、特許出願の際に当該通常実施権者が現に実施又は準備をしていた実施形式だけでなく、これに具現された発明と同一性を失わない範囲内において変更された実施形式にも及ぶ。
- 特許庁Website: 先使用権制度について
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