ストレス状態~平常状態~リラックス状態: 知財高裁平成21年(行ケ)10144
【背景】
「テアニン含有組成物」に関する出願(特願平7-184923; 特開平9-12454)の拒絶審決取消訴訟。拒絶査定不服審判(不服2006-6371号)において、
- 補正後の請求項1に係る発明が、引用例1発明(テアニンを有効成分とする抗ストレス剤)と引用例2発明(α波を増強させてストレスを解消してリラックス状態にするα波増強剤)に基づいて当業者が容易に発明する事ができたから特29条2項
- 補正後の請求項2に係る発明が、先願発明(特開平8-73350)と同一であると認められるから特29条の2
の規定により、それぞれ独立特許要件を満たさないことによって補正却下された結果、補正前の請求項1及び2に係る発明は特29条2項または特29条の2の規定に違反するとされた。
補正後の請求項1(下線が補正部分):
テアニンを含有することを特徴とする,α波の出現時間の累計を平常時に比べ10パーセント以上増加させるための,α波出現増強剤。
補正後の請求項2(下線が補正部分):
テアニンを含有することを特徴とする,学習能率向上剤。(脳代謝又は脳機能の障害及びこれらに起因する症状,並びに神経障害の治療・改善・予防作用を除く。)
【要旨】
裁判所は、審決には、(1)引用例2発明の認定の誤り(取消事由1)、(2)容易想到性判断の誤り(取消事由2)、(3)補正発明2と先願発明との同一性の認定判断の誤り(取消事由3)があると判断した。その理由は以下のとおり。
(1)引用例2発明の認定の誤り(取消事由1)について
裁判所は、
「引用例2発明は,マラクジャ果汁を含有する増強剤等により,脳のα波を増強させ,人の精神状態をリラックスさせる発明であり,そこにストレスの解消,低減という語が用いられているとしても,それは,単に,リラックスした状態を表すために用いられているにすぎないのであって,引用例2がストレスの解消,低減に係る技術を開示していると認定することはできない。
~
上記のとおり,引用例2の「ストレスを予防又は軽減」との記述は,その技術的な裏付けがなく,単に,リラックス状態への移行を述べたにすぎないと理解するのが合理的であり,また,実施例を含めた引用例2全体の記載からみても,引用例2に,ストレスを予防,軽減する技術が開示されていると判断することはできない。
~
審決は,引用例1発明及び引用例2発明の「ストレス」の意義についての誤った理解を前提として,両者の解決課題が共通であり,引用例1発明には引用例2発明を適用する示唆があると判断した点において,審決の上記認定の誤りは,結論に影響を及ぼす誤りであるというべきである。」
と判断した。
(2)容易想到性判断の誤り(取消事由2)について
裁判所は、
「前記(1)の記載によれば,自律神経系の作用と中枢神経系の作用は区別して認識されるのが技術常識であり,証拠を総合するも,自律神経系に作用する食品等が,当然に中枢神経系にも作用するという技術的知見があることを認めることはできない。
そうすると,自律神経系に作用する引用例1発明は中枢神経系に作用する引用例2発明とは技術分野を異にする発明であることから,当業者は,引用例1発明に引用例2発明を適用することは考えないというべきであって,両発明を組み合わせることには阻害要因があるというべきである。」
と判断した。
この点,被告は、
「抗ストレス作用を「自律神経系の活動を反映する血管,心拍数などの心臓血管系の反応の点からみた作用」としてとらえるか,あるいは「中枢神経系の活動を反映する脳波からみた作用」としてとらえるかは,ストレスの程度やリラックスの程度を確認するための指標として何に着目するかという差異にすぎず,引用例1と引用例2の技術が質的に異なることを意味しないから,阻害要因とならない」
と主張した。
しかし、裁判所は、
「前記のとおり,自律神経系に作用するか,中枢神経系に作用するかは,基本的な作用機序に係るものであり,単なる測定のための指標にすぎないとの証拠はなく,したがって,被告の主張は採用することができない。
以上のとおり,阻害事由を看過して,当業者が引用例1発明に引用例2発明を適用することにより,容易に補正発明1に想到することができるとした審決の判断には誤りがある。」
と判断した。
さらに、被告は、
「ストレスの解消・軽減を課題とする発明は,必然的にリラックス状態になるか,又はリラックス状態に近づけることも課題としていることが,本願出願当時の技術常識である」
と主張した。
しかし、裁判所は、
「ストレス状態,リラックス状態,その中間状態という3つの状態が存在することが認められ,この知見によっては,ストレスの予防・軽減が直ちにリラックス状態に導くものとすることはできない。~審決は,補正発明1における引用例1発明との相違点に関する構成について,引用例1発明に,引用例2発明を適用する示唆がないにもかかわらず,引用例2発明を適用した点に誤りがある。」
と判断した。
(3)補正発明2と先願発明との同一性の認定判断の誤り(取消事由3)について
裁判所は、
「先願発明は,先願明細書に記載された,その構成,産業上の利用分野,目的,効果のいずれによっても,脳機能改善剤等を提供する発明であることが明白である。これに対し,補正発明2は,特許請求の範囲において「(脳代謝又は脳機能の障害及びこれらに起因する症状,並びに神経障害の治療・改善・予防作用を除く。)」とされている。~前記によれば,先願発明と補正発明2は発明としての同一性がないというべきであって,これを同一とした審決の判断は誤りである。」
と判断した。
これに対し、被告は、
「先願明細書の~「記憶や学習」についての記載は,脳や神経における障害の有無とは関係のない一般的な記憶や学習に関する記載である」
旨等を主張した。
しかし、裁判所は、
「この記載部分は,先願出願当時の従来技術について述べたものにすぎず,先願発明の範囲を画するものとして記載したものとはいえない。~脳機能改善としての効果を示すとされていることに照らすならば,記憶,学習に関する一般的な発明について記載されたものとはいえない。
以上のとおり,補正発明2において「脳代謝又は脳機能の障害及びこれらに起因する症状,並びに神経障害の治療・改善・予防作用を除」いたとしても,補正発明2と先願発明の相違点は解消されないとする被告の主張は採用することができない。先願発明と補正発明2を同一の発明であるとして特許法29条の2を適用した審決の判断には誤りがある。」
と判断した。
審決を取り消す。
【コメント】
1. ストレス状態~平常状態~リラックス状態
裁判所は、
- ストレス状態~平常状態~リラックス状態という3つの状態の存在が認定されたことによって、引用例1発明には、ストレス状態から平常状態にすることが開示されているのに対し、引用例2には、平常状態からリラックス状態を導くことが開示されている点で、両者の解決課題は共通ではない。
- 引用例1発明は、自律神経系に対する作用効果を有するのに対し、引用例2発明は、中枢神経系に対する作用効果を有するという点(基本的な作用機序)で、両者は技術分野を異にする。
と判断した。
これらの裁判所の進歩性判断において、当業者が引用発明に他の引用発明を適用できるかどうかの動機付けを判断するポイントは、審査基準でも規定されているとおりである(①技術分野の関連性、②課題の共通性、③作用・機能の共通性、④引用発明の内容中の示唆)。今回の進歩性判断の分かれ目は、ストレス状態とリラックス状態との間に中間(平常)状態があると認定され、しかもこの中間状態がストレス状態とリラックス状態が混在した状態であるということを特許庁が証明しきれなかったことのように思う。
参考:
- 特許・実用新案審査基準 第II部 第1章 新規性・進歩性 2. 進歩性 2.5(2)動機づけとなり得るもの
ところで、進歩性の判断で、今回の判決で注目したいのは、裁判所が考えた「阻害事由(要因)」とは何かである。これまでの実務上では、「阻害事由(要因)」とは、たぶん、動機づけを妨げる又は阻害する(積極的に否定する)ものであり、単なる消極的理由は、「阻害事由(要因)」として採用されない、と理解していたが・・・
本判決では、取消事由2について阻害事由(要因)の存在を認めたが、これは単に引例どうしが技術分野を異にすることから組み合わせる動機付けがないというだけのようであり、動機づけを積極的に否定するようなもの(例えば、自律神経系に作用する引例1と中枢神経系に作用する引例2を組み合わせると悪影響が生ずる等)ではなかった。本判決文からは、動機付けがないことがすなわち阻害事由(要因)が存在すると読み取れるが、「阻害事由(要因)」のコトバの使い方が、他の判決と整合しているのか?そうであれば「阻害事由(要因)」というコトバの意義は広く考える必要がある?
参考:
- 特許・実用新案審査基準 第II部 第1章 新規性・進歩性
2.8 進歩性の判断における留意事項
(1) 刊行物中に請求項に係る発明に容易に想到することを妨げるほどの記載があれば、引用発明としての適格性を欠く。しかし、課題が異なる等、一見論理づけを妨げるような記載があっても、技術分野の関連性や作用、機能の共通性等、他の観点から論理づけが可能な場合には、引用発明としての適格性を有している。
2. 特29条の2の他の出願の当初明細書(先願明細書)に記載された(医薬)発明の認定について
特29条の2の拒絶理由を解消するために、先願明細書に記載された発明を除いたクレームが果たして除ききれているのかどうかが問題となった。確かに「記憶・学習に効果がある」旨の記載が先願明細書にあったが、その記載が脳障害の治療等のみに関わるものだったのか、それ以外の一般的な記憶・学習の向上まで開示されていたといえるのかが問題となった。判決では、発明の効果の記載に照らすことによって先願明細書の記載を認定し、一般的な記憶・学習について記載されたものとはいえないと判断した。
特29条の2の他の出願の当初明細書(先願明細書)に記載された(医薬)発明を認定するに当たり、先願明細書に記載された文言をそのまま「記載された発明」として認定するのではなく、先願明細書の効果等に照らして何が記載されていたのかを判断したという点で、本判決は今後の実務に参考になるかもしれない。
参考:
- Wikipedia: Theanine
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