「TRIPS協定(Trade-Related Aspects of Intellectual Property Rights Agreement 知的所有権の貿易関連の側面に関する協定)及び公衆衛生に関する宣言」(Declaration on the TRIPS agreement and public health; 以下、「ドーハ宣言」ともいう。)がWTO閣僚会議において採択されたのが2001年11月14日。
本日(2021年11月14日)は、このドーハ宣言の採択日からちょうど20年に当たります。
1.TRIPS協定及び公衆衛生に関する宣言(ドーハ宣言)
2001年11月のWTOドーハ閣僚会議では、WTO発足(1995年)後初となるラウンド(幅広い分野の包括的交渉)の開始が決定され、閣僚宣言が採択されました。この閣僚宣言の第17パラグラフには、TRIPS協定と公衆衛生について、既存の医薬品へのアクセス及び新薬の研究・開発の両方を促進することにより、TRIPS協定が公衆衛生を支持するような形で実施・解釈されることの重要性を強調する旨が記載されました(Paragraph 17 of the main Doha Declaration)。
Paragraph 17 of the main Doha Declaration
adopted on 14 November 2001 by the Fourth WTO Ministerial Conference, Doha, Qatar.
そして、上記パラグラフに”a separate declaration”とあるように、医薬品へのアクセスに対するTRIPS協定の潜在的な影響に関する懸念に応えることを目的として、個別にTRIPS協定及び公衆衛生に関する宣言(「ドーハ宣言」)が同時に採択されました。
Declaration on the TRIPS agreement and public health
adopted on 14 November 2001 by the Fourth WTO Ministerial Conference, Doha, Qatar.
(外務省による日本語骨子を併記)
1. We recognize the gravity of the public health problems afflicting many developing and least-developed countries, especially those resulting from HIV/AIDS, tuberculosis, malaria and other epidemics.
(HIV/AIDS、結核、マラリアや他の感染症といった途上国等を苦しめている公衆衛生の問題の重大さを認識。)
2. We stress the need for the WTO Agreement on Trade-Related Aspects of Intellectual Property Rights (TRIPS Agreement) to be part of the wider national and international action to address these problems.
(TRIPS協定がこれらの問題への対応の一部である必要性を強調。)
3. We recognize that intellectual property protection is important for the development of new medicines. We also recognize the concerns about its effects on prices.
(知的所有権の保護の、新薬開発のための重要性を認識。医薬品価格への影響についての懸念も認識。)
4. We agree that the TRIPS Agreement does not and should not prevent members from taking measures to protect public health. Accordingly, while reiterating our commitment to the TRIPS Agreement, we affirm that the Agreement can and should be interpreted and implemented in a manner supportive of WTO members’ right to protect public health and, in particular, to promote access to medicines for all.
In this connection, we reaffirm the right of WTO members to use, to the full, the provisions in the TRIPS Agreement, which provide flexibility for this purpose.
(TRIPS協定は、加盟国が公衆衛生を保護するための措置をとることを妨げないし、妨げるべきではないことに合意。公衆衛生の保護、特に医薬品へのアクセスを促進するという加盟国の権利を支持するような方法で、協定が解釈され実施され得るし、されるべきであることを確認。)
5. Accordingly and in the light of paragraph 4 above, while maintaining our commitments in the TRIPS Agreement, we recognize that these flexibilities include:
(TRIPS協定におけるコミットメントを維持しつつ、TRIPS協定の柔軟性に以下が含まれることを認識。)
a. In applying the customary rules of interpretation of public international law, each provision of the TRIPS Agreement shall be read in the light of the object and purpose of the Agreement as expressed, in particular, in its objectives and principles.
(TRIPS協定の解釈には国際法上の慣習的規則、TRIPS協定の目的を参照。)
b. Each member has the right to grant compulsory licences and the freedom to determine the grounds upon which such licences are granted.
(各加盟国は、強制実施権を許諾する権利及び当該強制実施権が許諾される理由を決定する自由を有している。)
c. Each member has the right to determine what constitutes a national emergency or other circumstances of extreme urgency, it being understood that public health crises, including those relating to HIV/AIDS, tuberculosis, malaria and other epidemics, can represent a national emergency or other circumstances of extreme urgency.
(何が国家的緊急事態かは各国が決定可能、HIV/AIDS、結核、マラリアや他の感染症は国家的緊急事態と見なすことがあり得る。)
d. The effect of the provisions in the TRIPS Agreement that are relevant to the exhaustion of intellectual property rights is to leave each member free to establish its own regime for such exhaustion without challenge, subject to the MFN and national treatment provisions of Articles 3 and 4.
(知的所有権の消尽に関して、提訴されることなく、各国が制度を作ることができる。)
6. We recognize that WTO members with insufficient or no manufacturing capacities in the pharmaceutical sector could face difficulties in making effective use of compulsory licensing under the TRIPS Agreement. We instruct the Council for TRIPS to find an expeditious solution to this problem and to report to the General Council before the end of 2002.
(生産能力の不十分または無い国に対する強制実施権の問題はTRIPS理事会で検討し、2002年末までに一般理事会に報告。)
7. We reaffirm the commitment of developed-country members to provide incentives to their enterprises and institutions to promote and encourage technology transfer to least-developed country members pursuant to Article 66.2. We also agree that the least-developed country members will not be obliged, with respect to pharmaceutical products, to implement or apply Sections 5 and 7 of Part II of the TRIPS Agreement or to enforce rights provided for under these Sections until 1 January 2016, without prejudice to the right of least-developed country members to seek other extensions of the transition periods as provided for in Article 66.1 of the TRIPS Agreement. We instruct the Council for TRIPS to take the necessary action to give effect to this pursuant to Article 66.1 of the TRIPS Agreement.
(後発開発途上国に対する技術移転促進を再確認。後発開発途上国に対して2016年1月まで医薬品に関しては経過期間を延長。66.1の経過期間の延長を求める権利を妨げない。)
特に、上記ドーハ宣言の第6パラグラフが、強制実施権に関する部分になります。
参考:
- Paragraph 17 of the main Doha Declaration, adopted on 14 November 2001 by the Fourth WTO Ministerial Conference, Doha, Qatar.
- Declaration on the TRIPS agreement and public health
- 外務省: TRIPS協定と公衆衛生に関する宣言 (骨子)
2.強制実施権に関するTRIPS協定第31条~31条の2
ドーハ宣言採択後、特許権者以外の者が感染症に関する医薬品を生産し、医薬品の生産能力が不十分な国に輸出することを可能とするよう、加盟国がこのような生産等を認めるための条件を緩和する規定を追加するTRIPS協定の改正議定書の発効(2017年1月23日)を経て、現在のTRIPS協定第31条及び第31条の2(強制実施権に関する)が規定されています(Agreement on Trade-Related Aspects of Intellectual Property Rights (as amended on 23 January 2017))。
(TRIPS協定第31条及び第31条の2(訳): 特許庁 TRIPS協定より)
加盟国の国内法令により,特許権者の許諾を得ていない特許の対象の他の使用(政府による使用又は政府により許諾された第三者による使用を含む。)(注)を認める場合には,次の規定を尊重する。
(注)
「他の使用」とは,前条の規定に基づき認められる使用以外の使用をいう。
(a) 他の使用は,その個々の当否に基づいて許諾を検討する。
(b) 他の使用は,他の使用に先立ち,使用者となろうとする者が合理的な商業上の条件の下で特許権者から許諾を得る努力を行って,合理的な期間内にその努力が成功しなかった場合に限り,認めることができる。加盟国は,国家緊急事態その他の極度の緊急事態の場合又は公的な非商業的使用の場合には,そのような要件を免除することができる。ただし,国家緊急事態その他の極度の緊急事態を理由として免除する場合には,特許権者は,合理的に実行可能な限り速やかに通知を受ける。公的な非商業的使用を理由として免除する場合において,政府又は契約者が,特許の調査を行うことなく,政府により又は政府のために有効な特許が使用されていること又は使用されるであろうことを知っており又は知ることができる明らかな理由を有するときは,特許権者は,速やかに通知を受ける。
(c) 他の使用の範囲及び期間は,許諾された目的に対応して限定される。半導体技術に係る特許については,他の使用は,公的な非商業的目的のため又は司法上若しくは行政上の手続の結果反競争的と決定された行為を是正する目的のために限られる。
(d) 他の使用は,非排他的なものとする。
(e) 他の使用は,当該他の使用を享受する企業又は営業の一部と共に譲渡する場合を除くほか,譲渡することができない。
(f) 他の使用は,主として当該他の使用を許諾する加盟国の国内市場への供給のために許諾される。
(g) 他の使用の許諾は,その許諾をもたらした状況が存在しなくなり,かつ,その状況が再発しそうにない場合には,当該他の使用の許諾を得た者の正当な利益を適切に保護することを条件として,取り消すことができるものとする。権限のある当局は,理由のある申立てに基づき,その状況が継続して存在するかしないかについて検討する権限を有する。
(h) 許諾の経済的価値を考慮し,特許権者は,個々の場合における状況に応じ適当な報酬を受ける。
(i) 他の使用の許諾に関する決定の法的な有効性は,加盟国において司法上の審査又は他の独立の審査(別個の上級機関によるものに限る。)に服する。
(j) 他の使用について提供される報酬に関する決定は,加盟国において司法上の審査又は他の独立の審査(別個の上級機関によるものに限る。)に服する。
(k) 加盟国は,司法上又は行政上の手続の結果反競争的と決定された行為を是正する目的のために他の使用が許諾される場合には,(b)及び(f)に定める条件を適用する義務を負わない。この場合には,報酬額の決定に当たり,反競争的な行為を是正する必要性を考慮することができる。権限のある当局は,その許諾をもたらした状況が再発するおそれがある場合には,許諾の取消しを拒絶する権限を有する。
(l) 他の特許(次の(i)から(iii)までの規定において「第1特許」という。)を侵害することなしには実施することができない特許(これらの規定において「第2特許」という。)の実施を可能にするために他の使用が許諾される場合には,次の追加的条件を適用する。
(i) 第2特許に係る発明には,第1特許に係る発明との関係において相当の経済的重要性を有する重要な技術の進歩を含む。
(ii) 第1特許権者は,合理的な条件で第2特許に係る発明を使用する相互実施許諾を得る権利を有する。
(iii) 第1特許について許諾された使用は,第2特許と共に譲渡する場合を除くほか,譲渡することができない。
第31条の2
(1) 前条(f)に規定する輸出加盟国の義務は,この協定の附属書の(2)に定める条件に従い,医薬品を生産し,及びそれを輸入する資格を有する加盟国に輸出するために必要な範囲において当該輸出加盟国が与える強制実施許諾については,適用しない。
(2) この条及びこの協定の附属書に規定する制度の下で輸出加盟国が強制実施許諾を与える場合には,当該輸出加盟国において許諾されている使用が輸入する資格を有する加盟国にとって有する経済的価値を考慮して,当該輸出加盟国において前条(h)の規定に基づく適当な報酬が支払われる。輸入する資格を有する加盟国において同一の医薬品について強制実施許諾を与える場合には,同条(h)に規定する当該輸入する資格を有する加盟国の義務は,輸出加盟国において前段の規定に従って報酬が支払われる当該医薬品については,適用しない。
(3) 医薬品の購買力を高め,及びその現地生産を促進するために規模の経済を活用することを目的として,開発途上国又は後発開発途上国である世界貿易機関の加盟国が,1994年のガット第24条及び異なるかつ一層有利な待遇,相互主義及び開発途上国の一層完全な参加に関する1979年11月28日付けの決定(文書番号L/4903)に規定する地域貿易協定であって,その締約国の少なくとも半数が国際連合の後発開発途上国の一覧表に現に記載されている国から成るものの締約国である場合には,前条(f)に規定する当該加盟国の義務は,当該加盟国における強制実施許諾に基づいて生産し,又は輸入した医薬品を,関係する健康に関する問題を共有する当該地域貿易協定の他の開発途上締約国又は後発開発途上締約国の市場に輸出することができるようにするために必要な範囲においては,適用しない。このことは,関係する特許権の属地的な性格に影響を及ぼすものではないと了解する。
(4) 加盟国は,この条及びこの協定の附属書の規定に従ってとられる措置に対し,1994年のガット第23条(1)(b)及び(c)の規定に基づいて異議を申し立ててはならない。
(5) この条及びこの協定の附属書の規定は,加盟国がこの協定の規定(前条(f)及び(h)の規定を除く。)に基づいて有する権利,義務及び柔軟性(知的所有権の貿易関連の側面に関する協定及び公衆の健康に関する宣言(文書番号WT/MIN(01)/DEC/2)において再確認されたものを含む。)並びにそれらの解釈に影響を及ぼすものではない。この条及びこの協定の附属書の規定は,強制実施許諾に基づいて生産される医薬品を前条(f)の規定に基づいて輸出することができる範囲に影響を及ぼすものではない。
参考:
- WTO TRIPS and public health
- Agreement on Trade-Related Aspects of Intellectual Property Rights
(as amended on 23 January 2017) - 外務省: 「知的所有権の貿易関連の側面に関する協定を改正する議定書」について
- 特許庁: TRIPS協定
3.COVID-19に対する治療薬やワクチンの医薬品アクセス問題
2020年10月、COVID-19に対する治療薬やワクチンの医薬品アクセス問題の原因が知的財産権の存在にあると主張して、南アフリカとインドが、TRIPS協定において定められた知的財産保護に関する規程(第II部の第1、4、5及び7節)の一時的な適用除外/履行義務免除(waiver)を求める提案をしました。現在もなおWTOでの議論・交渉が続いています。
※参照: 2020.10.02 Council for Trade-Related Aspects of Intellectual Property Rights – IP/C/W/669: WAIVER FROM CERTAIN PROVISIONS OF THE TRIPS AGREEMENT FOR THE PREVENTION, CONTAINMENT AND TREATMENT OF COVID-19 – COMMUNICATION FROM INDIA AND SOUTH AFRICA
例えば、モデルナ社は、2020年10月8日には、パンデミックの間、COVID-19の知的財産権を行使しないことを宣言しましたし(Statement)、COVAXによる分配へのワクチン提供、アフリカにおける生産工場の建設など、ワクチン・アクセスについてもとても精力的に取り組んでいます(2021.10.08 Moderna Statement)。
また、ファイザー社とバイオンテック社も、低・中所得国に数十億回分のワクチンを提供すると宣言し、COVAX等を介してワクチンの分配に精力的に取り組んでいます(2021.06.10 ファイザー社 Press release)。
そして、最近登場したCOVID-19に有効性を示す経口治療薬Molnupiravirを開発した米メルク社も、100カ国を超える低・中所得国に同薬を行きわたらせることを促進するため、Medicines Patent Poolを介すなどして、ジェネリックメーカーにMolnupiravirを製造する非独占的な実施権を契約しています(2021.11.04 Merck Press release)。
COVID-19に対する治療薬やワクチンの医薬品アクセス問題の原因のすべてを特許権(知的財産権)の存在(または知的財産制度)に求めるのではなく、ワクチンを共同購入して途上国に分配する国際的な枠組みであるCOVAXや、Medicines Patent Poolといった既存の枠組みを活用・促進することによって、今まさに利用可能となったワクチンや医薬品をいかに迅速に現地へ供給するか、そのための体制や医療インフラ構築、各国の援助も含めた取り組みなど、具体的な課題に向けた議論・その支援・推進が加速されることを願います。
そして、なによりもイノベーションへのインセンティブあっての持続的な医薬品アクセスの仕組みの改善・構築を強く願います。ウイルスによるパンデミックの脅威は、今後も、今回のCOVID-19だけとは限らないのですから。
コメント
【追加情報】
2021.11.16 Pfizer and The Medicines Patent Pool (MPP) Sign Licensing Agreement for COVID-19 Oral Antiviral Treatment Candidate to Expand Access in Low- and Middle-Income Countries
https://www.businesswire.com/news/home/20211116005353/en/Pfizer-and-The-Medicines-Patent-Pool-MPP-Sign-Licensing-Agreement-for-COVID-19-Oral-Antiviral-Treatment-Candidate-to-Expand-Access-in-Low–and-Middle-Income-Countries
【追加情報】
TRIPS協定整合性分析調査報告書(令和3年度版)・・・TRIPS理事会で検討されている諸課題や、不十分な知的財産の保護による不正商品および侵害物品の製造・流通などの問題点について、その問題点や産業界のニーズ等についての情報を収集・分析(2022年4月特許庁)
https://www.jpo.go.jp/resources/report/takoku/trips_chousa_houkoku.html