2021年の医薬系”特許的”な出来事を振り返ります。
2021年も残すところあとわずか。
2021年の医薬系”特許的”な世相を漢字一文字で表すとしたら、何を思い浮かべますか?
え?
「金(カネ)」ですか!?
※パテントサロン様が企画する知財系 もっと Advent Calendar 2021に参加しております(本記事を12/21枠で投稿)。
※このブログは、医薬品に関連した知財判決やニュースを中心に取り上げています。ご興味あれば、当ブログ(https://www.tokkyoteki.com/)とTwitter(@tokkyoteki)のフォローもどうぞよろしくお願いします。
1.はじめに
2021年は、人類の叡智(知的財産)を結集して生まれたmRNAワクチンをはじめ、イノベーションが世界を変えることができることを証明した年だったのではないでしょうか。
しかし、COVID-19に対する治療薬やワクチンが開発途上国に十分届いていないという医薬品アクセス問題がWTOで大激論となっていることに、「TRIPS協定及び公衆衛生に関する宣言(ドーハ宣言)」採択から20年という歳月を経てもなお、その問題がいかに解決困難なものであるかを改めて認識せざるを得ませんでした。
また、2021年は、公共の利益のための通常実施権の許諾を求める裁定の請求、引用発明と本願発明との対比においてパブリックドメイン(公共財産)との関係から効果の内在的同一性をどう扱うのかという議論ある判決、新薬承認を得るために必要な試験は特許法69条1項の「試験又は研究」に該当するとした判決、公衆衛生上の利益のために求められる臨床試験情報公開義務と特許出願タイミングのジレンマを浮き彫りにした事件、ブラジル延長制度が憲法違反とされ延長された医薬品特許は遡及的に失効、といった出来事もあり、前述の公衆衛生に関わる医薬品アクセスの話題とともに、「公共の利益」と知的財産権とのあいだで揺れた一年でもありました。
さらに、2021年は、中国の技術・制度・経済発展への動きが知的財産分野でも顕著であったことや、最初は仲間だったはずが関係が悪化し訴訟にまで発展してしまった事件もありました。
本記事では、2021年を賑わせたこれら医薬系”特許的”な出来事について、各記事とともに振り返ります。
2.人類の叡智(知的財産)を結集したイノベーションが世界を変える
2019年末に出現し、2020年初めには世界的に蔓延しはじめたSARS-CoV-2に起因する新型コロナウイルス感染症(COVID-19)。多くの製薬企業、大学・研究機関等のアカデミア、政府等が、世界中の患者を救うためにその治療法、診断法、ワクチンの研究・開発に投資・推進してきました。特に、感染拡大対策として、COVID-19の発症予防が期待されるワクチンの早期開発が望まれていました。
そして、バイオンテック社・ファイザー社やモデルナ社がそれぞれ開発したSARS-CoV-2スパイクタンパク質をコードするmRNAを有効成分とするワクチンが次々登場しました。mRNAワクチンという新たなモダリティは、臨床試験での有効性の高さからパンデミックという世界的危機を救うと大いに期待され、華々しい登場となりました。
- 参考: Natureダイジェスト Vol.18, No.11 「mRNAワクチン完成までの長く曲がりくねった道」
また、ワクチンだけではありません。リジェネロン社とロシュ社が共同で開発したSARS-CoV-2のスパイクタンパク質に対する中和抗体カクテル療法も登場。そして、米メルク社やファイザー社からは経口治療薬も登場しました。
製薬産業にとって、知的財産権はイノベーションの原動力であり、成功確率が極めて低い挑戦にも敢えて膨大な投資ができるインセンティブを与えてくれます。いまだに有効な治療法が見つかっていない病気に対する、新しい治療薬や診断薬等(アンメット・メディカル・ニーズ)への挑戦と投資が繰り返され、幾多の発明が生まれては消え、患者や医療現場に至るものは極僅か。それでも世の中に出た医薬品には患者や医療現場に希望を与え、世の中を変える力があります。
2021年は、人類の叡智(知的財産)を結集して生まれたmRNAワクチンをはじめ、イノベーションが世界を変えることができることを証明した年であったといえるでしょう。
イノベーション創出への挑戦(投資)は、新たな治療法を待ち望んでいる患者への希望です。
パンデミックへの対応も含めて世界最先端の医薬品を創出・開発し、国民に迅速に届けるためには、「イノベーションの創出」と「イノベーションの適切な評価」を車の両輪として強力に推進することが不可欠であることは、製薬協の提言にもあるとおりだと思います(3/21記事: 製薬協 政策提言2021を発表「『イノベーションの創出』と『イノベーションの適切な評価』を車の両輪として強力に推進することが不可欠」)。
3.公共の利益と知的財産権とのあいだで揺れた一年
(1)医薬品アクセスとTRIPS waiver
さて、イノベーションの創出へ果敢に挑戦し、驚くべきスピードでCOVID-19ワクチンを開発、やっと承認を得て、世界各国への供給体制にも取り組んでいた製薬企業にとって、米通商代表部(USTR)による2021年5月5日の発表は衝撃的なものでした。
USTRタイ代表は、COVID-19に対する治療薬やワクチンの医薬品アクセス問題の原因が知的財産権の存在にあるとするWTOでの議論(TRIPS協定において定められた知的財産保護に関する規程の適用除外/履行義務免除(waiver)を求める南アフリカとインドからの提案)を受けて、バイデン政権がCOVID-19ワクチンの知的財産権保護の放棄(前記waiver)を支持することを発表しました(5/6記事: COVID-19ワクチンの知的財産権の放棄を支持したバイデン政権と各製薬業界団体の失望・・・将来のパンデミックに対するイノベーションは誰が担うのか?)。
ワクチンをできるだけ早く多くの人々に届けるという目標には心から賛同しますが、知的財産権による保護を放棄することがパンデミックを終わらせるわけではありません。イノベーションを担う者たちからインセンティブを奪ってしまったら、将来のパンデミックに対するイノベーションは誰が担うのでしょうか。
2021年は、医薬品へのアクセス及び公衆衛生の保護の重要性に関して、「TRIPS協定及び公衆衛生に関する宣言」(ドーハ宣言)がWTO第4回閣僚会議において採択されてからちょうど20年に当たります(11/14記事: TRIPS協定及び公衆衛生に関する宣言(ドーハ宣言)から20年)。
COVID-19ワクチンを開発したモデルナ社、ファイザー社とバイオンテック社、そしてCOVID-19に有効性を示す経口治療薬molnupiravirを開発した米メルク社やPF-07321332/ritonavir併用療法を開発したファイザー社など、製薬企業は、ワクチンを共同購入して低・中所得国に分配する国際的な枠組みであるCOVAXや既存の枠組みであるMedicines Patent Poolを活用するなどして、ワクチンまたは医薬品を低・中所得国に広く提供するボランタリーな活動を精力的に実行しています。例えば、COVAXでは、現時点で、入手可能なワクチンが55億回分を越え、約8億回分が既に144カ国に供給されています(UNICEF COVID-19 Vaccine Market Dashboard)。
COVID-19に対する治療薬やワクチンの医薬品アクセス問題の原因のすべてを特許権(知的財産権)の存在(または知的財産制度)に求めるのではなく、COVAXやMedicines Patent Poolを活用・促進することによって、今まさに利用可能となったワクチンや医薬品をいかに迅速に現地へ供給するか、そのための体制や現地医療インフラ構築、現地国民へのワクチン接種等の重要性の啓蒙、各国の援助も含めた取り組みなど、具体的な課題に向けた議論・その支援・推進が加速されることを願います。
2021年は、ドーハ宣言採択から20年という記念すべき年ですが、それだけの歳月を経てもなお、こうして医薬品アクセスと知的財産権との問題がWTOで大激論となっていることに、この問題がいかに解決困難な問題であるかを改めて認識せざるを得ませんでした。
(2)公共の利益のための通常実施権の許諾を求める裁定の請求
前述の医薬品アクセス問題のように、発明が医薬品に関連する場合には、公共の利益が人命や健康に直接関わることとなるため、特許権による発明の保護と公共の利益とのバランスをどう保つかという議論は根が深く極めて難しい問題です。
2021年7月13日、理研・ヘリオス・大阪大学が特許権者である発明の名称を「網膜色素上皮細胞の製造方法」とする特許権について、第三者であるビジョンケアらが、公共の利益のための通常実施権の許諾を求める裁定の請求(特許法第93条)を行いました。
日本では、通常実施権の許諾を求めて裁定が請求されること自体が稀であって、裁定により通常実施権が設定された事例はないとのことで、このニュースは、医療・製薬業界だけでなく、知財業界でも大きな話題となりました(10/3記事: 理研・ヘリオス・大阪大学の「網膜色素上皮細胞の製造方法」特許に公共の利益のための通常実施権の設定を求めてビジョンケアが裁定を請求・・・iPS細胞を用いた世界初の臨床応用からなかなか進まないヘリオス・大日本住友による加齢黄斑変性に対する再生医療の治験)。
公共の利益に与える重大さ、特許権者の実施状況、代替手段・選択肢の存在、公権力が特許権者らの私的権利に与える影響、政策的な観点など、総合的に検討しなければならない難しい問題です。
大日本住友製薬が主体で治験準備を進めているというiPS細胞由来の網膜色素上皮細胞を用いた再生医療の実用化には大いに期待していますし、一般論としても、イノベーションの原動力である特許権に安易に強制的な実施権を許すことは、特許権(知的財産権)による競争力を弱体化させ、長い目で見ると今なお病気に苦しむ患者や医療現場に希望を与えるための挑戦への投資インセンティブを減退させることに繋がりかねません。一方で、その礎となったiPS細胞を用いた臨床研究を理研時代にリードした高橋氏(ビジョンケア)が患者のために目指している眼の医療を進歩させる思いにも共感します。
工業所有権審議会発明実施部会での議論(12/17記事: 公共の利益のための通常実施権の許諾を求める裁定の請求2021-1 工業所有権審議会 発明実施部会(第1回)が開催)が進み、近いうちに本件裁定請求についての判断(経済産業大臣の裁定)が出されるかもしれません。しかし、その判断がどうであっても、勝ち負けで白黒つけるのではなく、最終的には、iPS細胞での再生医療を待ち望んでいる患者のためになるように当事者努力による最善の解決に至ることを願っています。
(3)もうひとつのワクチン開発と知的財産権を巡る争い
「ワクチン」といえば、肺炎球菌結合型ワクチンを巡るファイザー社と米メルク社とのグローバルな特許紛争は、実質的にはファイザー社の勝訴的和解で決着しました(10/13記事: 肺炎球菌結合型ワクチンを巡るグローパルな特許紛争でファイザーとMSDが和解)
ワイス社(ファイザー社)が特許権者である13価肺炎球菌結合型ワクチン「プレベナー13®」に関する特許に対して、15価肺炎球菌結合型ワクチン「V114(Vaxneuvance)」の開発を進めていたMSD社(米メルク社)が、同特許の無効を求めていた事件で、知財高裁は、審決の判断に誤りはないとして、MSD社の請求を棄却しました(6/15記事: 2021.05.17 「メルク・シャープ・アンド・ドーム v. ワイス」 知財高裁令和2年(行ケ)10015)。
「物の発明」において「発明の効果」に係る発明特定事項は、本願発明全体の構成との関係でどのように把握・認定され、引用発明との差異をどのように判断するのか、そもそも「発明の効果」がその「物」自体に備わっている(内在する・固有の)機能や特性であるならば、引用発明との関係で発明の実体的な構成の差異にはなり得ないのか、という疑問を孕んだ議論の残される判決であり、上告・上告受理申立てがされ、最高裁で審理されることに期待していましたが、残念ながら、グローバルな和解により、上告取下げ・上告受理申立て取下げとなりました。
本事件とは異なる事件についての論考ではありますが、パブリック・ドメインとの関係から効果の内在的同一性について論じているものとして、例えば、吉田 広志 「パブリック・ドメイン保護要件としての新規性/進歩性の再構成 ―内在的同一について特許を認めたロシュ v. アムジェン事件を端緒として―」 北海道大学情報法政策学研究センター 知的財産法政策学研究 Vol.61 (2021)があります。
パブリック・ドメイン(自由技術)となっている発明を第三者が実施することに対して後発的に排他権が及ぶことになるとしたら、その判断は、「産業の発展に寄与する」という特許法の法目的の観点から適切ではないように思われます。
(4)特許法第69条第1項「試験又は研究」
特許法において、公共の利益と特許権による発明の保護の調和点を立法的に解決しようする規定のひとつに第69条第1項があります。「発明を奨励し、もって産業の発展に寄与する」という法目的の下、技術の進歩を目的とする試験又は研究についてまで特許権の効力を及ぼすことは、却って技術の進歩を阻害し、産業の発達を損なうことになるため、「試験又は研究」のためにする実施には特許権の効力が及ばないことが規定されています。
アムジェン社が腫瘍溶解性ウイルス「T-VEC」の国内ブリッジング試験(本件治験)を実施していることが特許権を侵害すると主張して、同ウイルスの使用の差止・廃棄を特許権者が求めた事案において、2021年2月9日、知財高裁は、本件治験は特許法69条1項の「試験又は研究」のためにする特許発明の実施に当たると判断した原判決を支持しました(3/17記事: 2021.02.09 「X v. アムジェン」 知財高裁令和2年(ネ)10051・・・新薬承認を得るために必要な試験は特許法69条1項の『試験又は研究』に該当するか)。
この判決は、本件治験(本件)に限らず、特許権の存続期間中の製造販売を目的としたものでないことを前提として、新薬(先発医薬品)の製造販売承認を得るために必要な試験全般にも適用可能であり、従って、特許権の効力が及ばない安全域(セーフハーバー)を先発医薬品メーカー間の新薬開発競争においても明確にした点で非常に意義のあるものだったといえるでしょう。
(5)臨床試験情報公開義務と特許出願タイミングのジレンマ
臨床試験を実施する者(企業)は、公衆衛生上の公共の利益のため、臨床試験情報について自由にアクセス可能なインターネット上の登録簿に一定の臨床試験情報を、決められた時期までに、登録し公開すること(臨床試験の透明性)が求められています。この登録・公開は、臨床試験の結果が得られてから初めて行うものではなく、試験を開始する時点から求められています。つまり、臨床試験は開始段階でその試験計画について一定の情報が公開されます。
パリエット®(一般名: ラベプラゾールナトリウム)のプロトンポンプ阻害剤抵抗性逆流性食道炎に対する維持療法に関する用法・用量特許の無効審判請求事件は、臨床試験の結果を頼りとする特許出願のタイミングについて、臨床試験計画情報が公開される前に出願するのが良いか(新規性・進歩性の確保を重視するか)、それとも臨床試験結果を得てから特許出願するのが良いか(実施可能要件を満たすことを重視するか)、という公衆衛生上の公共の利益のための臨床試験情報の公開義務を踏まえた特許出願戦略のジレンマを浮き彫りにするものでした(8/14記事: 2021.06.29 「EAファーマ v. 沢井製薬・大原薬品工業」 知財高裁令和2年(行ケ)10094)。
(6)ブラジル延長制度の違憲決定 延長された医薬品特許は遡及的に失効へ
2021年5月12日、ブラジル連邦最高裁判所(STF)は、特許権の存続期間の延長制度(特許付与日から10年の存続期間の享受)に関する産業財産権法第40条補項の規定を憲法違反であるとした決定(2021年5月6日)について、既に同項による延長を与えられていた医薬品、医療装置、医療材料に関する特許権に対しては遡及的に適用されると修正しました(5/18記事: ブラジル延長制度の違憲決定 医薬品特許は遡及適用・失効へ)。
当該延長制度により特許権が延長されて有効に存続していると信じて事業を進めていた製薬企業等含むヘルスケア業界にとって、その特許権が遡及的に失効するという、非常にショッキングな決定でありました。
STFが、2021年4月7日付のプレスリリースにて、「パンデミックに起因する公衆衛生上の緊急事態による例外的な状況では、健康および生命を維持するための合理的かつ効果的に管理されるべき医療関連製品の不足が想定され、治療のための医薬品のみならず、さまざまな医療関連製品についての管理が必要となる」と述べていること(JETROビジネス短信より)からも、公衆衛生という公共の利益と知的財産権とのバランスを議論した上での決断だったことが伺えます。
4.中国の技術・制度・経済発展への動きが顕著だった一年。一方、日本は・・・
(1)中国人民解放軍軍事科学院によるドラッグ・リポジショニング
COVID-19に対するワクチン開発や有効な治療薬が世の中に出るまで、とにかく、COVID-19の治療に少しでも有効そうなものが既存薬の中にないか探し、その再活用を試みる開発、すなわちドラッグ・リポジショニングについても世界中で取り組まれました。
COVID-19によるパンデミックが起き始めた頃、2020年1月21日、中国人民解放軍軍事科学院は、もともとエボラウイルスへの抗ウイルス活性を示すヌクレオチドアナログのプロドラッグとしてギリアド社が開発を進めていたレムデシビル(remdesivir)や、富山化学工業(現:富士フイルム富山化学)により創製された抗インフルエンザウイルス薬アビガン®錠の有効成分ファビピラビル(favipiravir)が、SARS-CoV-2に有効であることについての用途発明に関して特許出願を行いました(優先日: 2020年1月21日)。
一方、ギリアド社がレムデシビルのCOVID-19治療用途に係る特許出願をしたのは、中国人民解放軍軍事科学院による出願日のたった6日後(優先日は2020年1月27日)であったことが後になって判明します。
今年になって、中国人民解放軍軍事科学院の出願は、日本でもそれぞれ権利取得に向けて審査手続きが進められていることが判明しました(特開2021-116295、特開2021-116296)。
7/30記事: 武漢ウイルス研究所と中国人民解放軍軍事科学院との共同研究成果・・・新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)感染症に対するレムデシビルの使用に関する特許出願について(2)
8/24記事: 中国人民解放軍による新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に対するファビピラビル(Favipiravir)の使用に関する特許出願について(2)
(2)第4次改正専利法施行 -延長制度とパテントリンケージ制度が導入-
そして、「中国」といえば・・・2021年6月1日より中国第4次改正専利法が施行されました。なかでも、専利保護期間延長制度(第42条)や、医薬特許紛争の早期解決メカニズム(early resolution mechanisms for drug patent disputes)いわゆるパテントリンケージ制度(第76条)が導入されたことは、医薬品業界にとっては大きなニュースでした(7/7記事: Patent linkage in China – 中国国家知識産権局(CNIPA)が医薬特許紛争の早期解決メカニズム(early resolution mechanism for drug patent disputes)いわゆるパテントリンケージ(patent linkage)に関する実施弁法を発表 –)。
パテントリンケージとは、後発医薬品承認時に先発医薬品の有効特許を考慮する仕組みであり、その制度内容は国によって異なりますが、その意義は総じて、先発医薬品を保護する特許権の重要性を尊重しつつ先発医薬品メーカーと後発医薬品メーカーとの特許紛争を事前に整理することによって後発医薬品の市場への安定供給を実現することを目的としています。
中国のこのような制度の施行は、今後の中国における医薬品開発イノベーションと社会福祉を促進し、経済社会を持続的で安定したものに発展させるための(国益を守るための)大きなターニングポイントであったと思います。
なお、中国パテントリンケージ制度で初の特許紛争事件となるのは、中外製薬の骨粗鬆症治療剤(活性型ビタミンD3製剤)エディロール®(有効成分: エルデカルシトール)のジェネリック申請によるものであり、北京知識産権法院は原告である中外製薬の訴訟を受理したと報じています(2021.11.11 【收案信息】北京知识产权法院受理首例“药品专利链接”诉讼案件)。
一方、日本のパテントンケージ制度には問題があります。環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定(「CPTPP」、「TPP11」ともいう。)の締約国はパテントリンケージ制度を採用する義務があり、その締約国である日本では、政府の立場としては、パテントリンケージに該当する仕組みが国内制度として運用されているとのことですが、驚くべきことに、それは国会で承認された法律でもなく、政令でもなく、省令でもなく、告示でも、通達でもない、「通知」という厚労省よりもさらに下位組織の長・局長等がお知らせをしたレベルで成り立っています。
パテントリンケージは、医薬品の安定供給と特許権の保護という両面を調整するものであることにより公衆の健康と利益に大きな影響を与えます。だからこそ、その制度を採用するほとんどの国は国内法令としてしっかり制度化しています。日本版パテントリンケージ制度が、「通知」というお知らせレベルで運用されている現状は適切ではなく、法律レベルで採用されるように改められるべきであると思います。各方面からもパテントリンケージの課題を指摘する論考が出されており、今後、益々、日本版パテントリンケージが、国際協定であるCPTPPを順守するものとして、公正且つ明確であって日本にとってより良い制度に改善されるよう議論が活発化することを期待しています(3/8記事: 日本のパテントリンケージの現状の課題とその解決に向けた提案)。
(3)RCEPの発効日が決まる
さて、2018年12月30日に発効したCPTPPに続き、参加国のGDP、貿易総額及び人口の合計が世界全体の約3割、我が国の貿易総額のうち約5割を占めるというRCEP(地域的な包括的経済連携協定 Regional Comprehensive Economic Partnership Agreement)が2022年1月1日に発効することが決定しました(11/3記事: RCEP(地域的な包括的経済連携協定)が2022年1月1日に発効・・・知的財産分野、特に医薬品に関連する条項について)。
巨大な経済圏が生まれるわけですが、インドが署名を見送ったことで、RCEPの中で最も大きい市場を抱える中国の存在感がさらに高まりました。RCEPにより自国経済の成長を目指す中国は、さらに、2021年9月17日、CPTPPへの加入を正式に申請しました(JETROビジネス短信: 2021.09.17 「中国、CPTPPへの加入を正式に申請」)。
2021年は、中国がWTOに正式加盟した2001年からちょうど20年という節目の年です。中国のWTO加盟が中国国内及び国際社会に与えた経済的影響は計り知れず、現在の中国の発展に至っていることは周知の事実です。
2021年は、中国の技術・制度・経済発展への動きが顕著だった一年であったといえるでしょう。
一方、日本政府が、国益を守るための国策として、製薬分野において知財政策を推進させたという話題や出来事は残念ながら乏しかったように思います(2021.07.13 知的財産戦略本部 「知的財産推進計画2021」)。
米国研究製薬工業協会(PhRMA)は、2021年10月28日、オンライン記者会見を行い、「現在の日本の医薬品市場は魅力的とは言い難い状況であり、昨今の度重なる薬価ルール改定により、実際はイノベーションの評価と薬価引き下げのバランスが取れていなく、ドラッグラグの再燃も危惧される」と述べています(PhRMAオンライン記者会見)。
2021年以降の市場成長率がマイナスになるのは主要国では日本のみであり(IQVIA資料)、日本の製薬産業に対して日本政府が無策のままでは、日本のドラッグラグの再燃どころか、ドラッグロスとなることも危惧されます。
5.仲間だったはずが関係悪化、対立が表面化した事件が多かった一年
(1)本庶氏と小野薬品
ノーベル医学・生理学賞を受賞した本庶氏と小野薬品との間で係争となっていた「PD-1特許に関する対第三者訴訟関連分配金等請求事件」は和解による決着となりました(11/12記事: 小野薬品と本庶氏との係争 全面的解決を図る和解で決着)。
小野薬品は、本庶氏に解決金として50億円を支払い、京都大学に寄付金として230億円を寄付することになりますが、
- 本庶氏が訴訟提起前から不満を漏らしていたといわれる「ライセンス契約で定められたロイヤルティ料率」を変更することなく全面解決を図るものとして和解できた点
- 解決金及び寄付金を合わせた総額については、高額ではあるものの、米メルク社との訴訟で得た実施許諾収益は、ある意味、抗体の機能的表現クレームによる訴訟で勝ち得たという、小野薬品にしてみれば棚からぼた餅的なところもある収益であったのではないか、その収益に比べれば本庶氏への分配金額はそれ相応の額であると想像される点
- 米メルク社との訴訟では、発明者としての本庶氏にかなりの時間と労力を費やさせたこと、その協力が不可欠だったこと
- 京大への寄付は小野薬品が当初から検討していたことであり、将来の基礎研究の促進や若手研究者の育成といった本庶氏の求めに沿う形で支援・協力関係維持を演出できたという点
- 訴訟を長期化せずに、リスク(フリーマン氏/ダナ・ファーバー癌研究所との係争対応に向けた協力関係への支障、レピュテーションリスクも含めて)を早期に解決できた点
を踏まえると、小野薬品にとっても、株主やステークホルダーにも理解してもらえる範囲として、むしろ、かなり良い条件で和解することができたのかな、というのが、個人的な感想です。
参考:
- 小野薬品の有価証券報告書によると、Keytruda®(米メルク社)からのロイヤルティ収入は、2018年度は128億円、2019年度は193億円、2020年度は約243億円。これに対し、オプジーボ点滴静注からのロイヤルティ収入は2020年度は約600億円。
- 抗PD-1抗体特許係争で和解した米メルク社は、小野薬品およびBMS社に対して、6億2500万ドルの頭金を支払い、2017年1月1日から2023年12月31日まではキイトルーダの全世界売上の6.5%、2024年1月1日から2026年12月31日までは2.5%をロイヤルティとして支払うことで合意に至った。頭金およびロイヤルティは小野薬品に25%、BMS社に75%の割合で分配される(2017.01.24記事「小野・BMS v. Merck 抗PD-1抗体特許係争で和解」)。
(2)本庶氏とゴードン・フリーマン氏
本庶氏及び小野薬品が特許権者である抗PD-1抗体等に関する特許(いわゆる「本庶特許」)の共同発明者を巡る米国での争いが、日本にも飛び火しました。
本庶特許について、米国連邦巡回区控訴裁判所は、共同発明者としてClive Wood氏とダナ・ファーバー癌研究所のGordon Freeman氏(以下、「ゴードン・フリーマン氏」)の2名が追加されるべきであるとしたマサチューセッツ州連邦地裁判決を支持し、判決は確定しました。
並行して、ゴードン・フリーマン氏から本発明に関する権利および利益を譲り受けたダナ・ファーバー癌研究所は、小野薬品およびBMSが本庶特許の独占的所有者として競合他社から受けているライセンス収入の一部利益を受ける権利を有していると主張し、米国マサチューセッツ州連邦地裁に提訴しています。
そして、ゴードン・フリーマン氏は、日本の「本庶特許」に対しても無効審判を請求しています。無効理由は、ゴードン・フリーマン氏が本件各発明に係る発明者(共同発明者)であり、本件特許は冒認又は共同出願違反であるとの主張と考えられます。現在、特許庁で審理されており、その口頭審理が2022年1月12日に予定されています(10/7記事: 抗PD-1抗体に関する本庶特許の発明者を巡る米国での裁判、そして日本・・・(5))。
(3)本庶氏と元大学院生
元大学院生(控訴人)が、抗PD-L1抗体を有効成分として含む癌治療剤に関する特許に係る発明は、大学院在籍中に行った実験結果やその分析から得られた知見をまとめた論文に基づくものであるから、発明者の一人であると主張して、同特許権の持分の一部移転登録手続等を請求した事件の控訴審で、2021年3月17日、知財高裁は、控訴人が本件発明の発明者に該当するものと認められないとして、本件控訴を棄却する判決を言い渡しました(3/24記事: 2021.03.17 「X v. 小野薬品・Y」 知財高裁令和2年(ネ)10052)。「創作へ関与」したか否かを巡る観点で、大学における指導教官と学生との関係が問題となりました。
(4)メディオンとネオケミア
発明の名称を「二酸化炭素含有粘性組成物」とする特許に係る特許権者であったメディオン・リサーチ・ラボラトリーズ(以下「メディオン」)が、破産手続を行ったネオケミア及びクリアノワールから特許権侵害による損害賠償金を回収することができなかったため、それらの取締役であった被告らからその賠償金の回収を試み、その請求が認められた事件がありました(11/10記事: 2021.09.28 「メディオン v. P1・P2・P3・P4」 大阪地裁令和元年(ワ)5444)。
取締役であった被告らが特許権侵害による損害賠償責任を負うことの理由として、大阪地裁は、「経営判断が適切であったかを検討すべき」、「それが取締役としての善管注意義務の内容をなす」と前置きしたうえで、被告らには会社法429条1項に基づく取締役としての善管注意義務に違反があり、悪意または重過失によるものと評価して、原告メディオンの請求を認めました。
特許係争の中心となったメディオンの1998年出願の特許4659980及び特許4912492の発明者は二人。一人は、日置氏であり、メディオンのウェブページにも炭酸パックの発明者であると紹介されてています。もう一人は、ネオケミアの代表取締役であった田中氏。すなわち、メディオンに特許を受ける権利を譲渡した発明者である田中氏が、数年後にネオケミアを設立し(2001年5月)、その後、メディオンに譲渡したその発明に係る特許権を侵害しているとしてメディオンから訴えられた・・・という経緯がありました(2020/9/9記事: 2020.08.05 「ネオケミア v. メディオン」 知財高裁令和元年(行ケ)10082; 10084)。
(5)モデルナ社とNIH
2021年11月11日、モデルナ社は、アメリカ国立衛生研究所(NIH)の科学者たちとの協力関係に感謝しており、彼らの貢献を高く評価するとしながらも、COVID-19ワクチンのmRNA配列に関して、NIHの科学者が共同発明者であると主張していることについて受け入れることは出来ず、モデルナ社の科学者だけが発明者である旨を表明しました(11/17記事: モデルナ社 COVID-19ワクチンのmRNA配列 NIHの科学者が共同発明者であるとの主張を受け入れず、モデルナ社の科学者だけが発明者である旨を表明)。
その後の12月17日、モデルナ社は、NIHとの協議に時間を割くために、米国特許商標庁より許可されていたCOVID-19ワクチンのmRNA配列に関する米国特許出願について、現時点では発行させないことを決定し、継続出願を行った旨を表明しました(12/19記事: モデルナ社 COVID-19ワクチンのmRNA配列に関する米国特許出願 NIHとの協議のため一旦放棄)。
モデルナ社とNIHとの間で共同発明者の認識は一致に至るのか・・・。火種を抱えたまま登録となれば特許の有効性や権利行使に対する疑義が生じかねず、また、モデルナ社の表明にも言及されているように、SARS-CoV-2の新たな変異株に対処するための取り組みに官民の協力関係は必須であり支障があってはなりません。NIHからの共同発明者追加の正否はともかく、強引に意見を押し通すのではなく、NIHとの協議継続と円満な解決を目指すため一旦特許登録を先送りにしたモデルナ社の判断は妥当でしょう。
(6)理化学研究所とヘリオスとビジョンケア
前述した公共の利益のための通常実施権設定の裁定請求についての話題の背景には、理化学研究所に所属していた本件特許に係る発明者である高橋氏が、創立者の一人でもあった理化学研究所発ベンチャー・ヘリオスと袂を分かち、自らを代表取締役とする別会社ビジョンケアにて本件特許発明を実施しようとしたことから、本件特許を有する理研・ヘリオスと実施許諾を巡って問題が生じたことにあります(10/3記事: 理研・ヘリオス・大阪大学の「網膜色素上皮細胞の製造方法」特許に公共の利益のための通常実施権の設定を求めてビジョンケアが裁定を請求・・・iPS細胞を用いた世界初の臨床応用からなかなか進まないヘリオス・大日本住友による加齢黄斑変性に対する再生医療の治験)。
繰り返しになりますが、iPS細胞での再生医療を待ち望んでいる患者のためになるように当事者努力による最善の解決に至ることを願っています。
6.おわりに
以上、振りかえると、2021年は、公共の利益と知的財産権とのバランスに関わる話題、中国共産党が統治する中国の知的財産分野での勢い、共同発明者や共有特許の契約上の係争の話題で盛り上がった一年でした。
・・・ということで、
今年の医薬系”特許的”な世相を表す漢字一文字、”漢字・オブ・ザ・イヤー“は・・・
みなさまはどんな一文字が思い浮かんだでしょうか。
それではみなさま、良いお年をお迎えください。
※過去の「医薬系”特許的”な出来事を振り返る。」にもご興味があればぜひご覧下さい。
- 「2020年、医薬系”特許的”な出来事を振り返る。」はこちら
- 「2019年、医薬系”特許的”な判決を振り返る。」はこちら
- 「2018年、医薬系”特許的”な判決を振り返る。」はこちら
- 「2017年、医薬系”特許的”な判決を振り返る。」はこちら
- 「2016年、医薬系”特許的”な判決を振り返る。」はこちら
- 「2015年、医薬系”特許的”な判決を振り返る。」はこちら
- 「2014年、医薬系”特許的”な判決を振り返る。」はこちら
- 「2013年、医薬系”特許的”な判決を振り返る。」はこちら
- 「2012年、医薬系”特許的”な判決を振り返る。」はこちら
- 「2011年、医薬系”特許的”な判決を振り返る。」はこちら
- 「2010年、医薬系”特許的”な判決を振り返る。」はこちら
- 「2009年、医薬系”特許的”な判決を振り返る。」はこちら
- 「2008年、医薬系”特許的”な判決を振り返る。」はこちら
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