明細書記載データの一部分に誤記があったときの釈明: 知財高裁平成28年(行ケ)10148
【背景】
被告(シアトル ジェネティクス)が保有する「低いコアフコシル化を有する抗体及び抗体誘導体を調製するための方法並びに組成物」に関する特許第5624535号の特許無効審判請求を不成立とした審決(無効2015-800102号)の取消訴訟。争点は、①進歩性の判断の当否(相違点の容易想到性の判断の誤り)、②実施可能要件に関する判断の適否及び③サポート要件に関する判断の適否。
請求項1:
低いコアフコシル化を有する修飾抗体又は抗体誘導体を製造する方法であって,
糖鎖の還元末端のN-アセチルグルコサミンを介してFcドメインに結合した少なくとも一つの複合N-グリコシド結合糖鎖を有するFcドメインを有する抗体又は抗体誘導体を発現する宿主細胞を有効量のフコース類似体を含む培地中で適切な成長条件下で培養する段階,及び
前記抗体又は抗体誘導体を細胞から分離する段階を含み,
ここで,前記フコース類似体が以下の式・・・であり,・・・
前記抗体又は抗体誘導体が前記フコース類似体の不存在下で培養した宿主細胞からの抗体又は抗体誘導体と比較して低いコアフコシル化を有する,上記方法。
【要旨】
請求棄却。
明細書に記載されているフコース類似体のひとつとして挙げられたアルキニルフコース1,2,3-トリ(トリメチルアセテート)の阻害活性のデータが「不自然」であることに端を発した実施可能要件に関する判断の適否について以下に抜粋。
問題となった表1の記載部分は下記のとおり(50μMと1mM)。
原告は、
「本件明細書の表1によると,50μMでの阻害活性が「>80%」と記載されたアルキニルフコースジ(トリメチルアセテート)に,もう1つピバレートエステル基が付加しただけで,阻害活性が「約0%」(50μMアルキニルフコース1,2,-トリ(トリメチルアセテート))となるように,化学構造がわずかでも変化すると活性に大きな相違がもたらされるというのが技術常識であるから,本件発明1のフコース類似体の全てが低いコアフコシル化抗体の製造に使用することができるわけではない」
と主張した。
しかしながら、裁判所は、
「当業者であれば,上記フコース類似体の50μMの濃度における阻害活性データを比較した際に,アルキニルフコース1,2,3-トリ(トリメチルアセテート)の阻害活性が,ピバレートエステル基を1つ多く有するアルキニルフコーステトラキス(トリメチルアセテート)よりも低下していることは,本件明細書の記載及び技術常識に照らし,不自然であると認識し,その阻害活性データについて,発明の詳細な説明の実施例(段落【0217】等)に記載されたコアフコシル化阻害活性の測定方法によって当該フコース類似体の阻害活性を確認し,表1におけるこのフコース類似体の阻害活性データが誤記であることを確認することに格別の技術的困難があるとは認められない。表1及び2に列挙された各種フコース類似体のコアフコシル化の阻害%のうちで唯一50μMにおいても1mMにおいても効果がないと解される表1のアルキニルフコース1,2,3-トリ(トリメチルアセテート)の上記データが誤記であることは,共同発明者の1名により本件明細書に記載された実験の元データ(添付資料A。以下「本件データ」という。)を分析した結果報告(甲16。以下「本件分析報告」という。)によれば,アルキニルフコース1,2,3-トリ(トリメチルアセテート)の阻害が>80%程度であると認められることからも裏付けられる。
したがって,当業者であれば,アルキニルフコース1,2,3-トリ(トリメチルアセテート)の阻害活性に関する本件データを参照するまでもなく,発明の詳細な説明の記載から,表1の上記フコース類似体の阻害活性データが誤記であることを推測することができ,そのことを発明の詳細な説明の実施例の記載に基づいて容易に確認することができると認められるし,また,本件分析報告によれば,アルキニルフコース1,2,3-トリ(トリメチルアセテート)は,実際には非常に高いコアフコシル化阻害活性(>80%)を有することが確認できるのであるから,フコース類似体として,アルキニルフコース1,2,3-トリ(トリメチルアセテート)を発明の詳細な説明に記載されたとおりに用いることにより,本件発明1について実施をすることができるものと認められる。
以上によれば,表1のアルキニルフコース1,2,3-トリ(トリメチルアセテート)に関する「約0%」及び「ND」の記載のみをもって,実施可能要件を欠くということはできず,当業者は,本件明細書の発明の詳細な説明の全体的な開示に基づき,本件発明1について実施をすることができると認められるから,原告の上記主張は採用することができない。」
と判断した。
また、原告は、
「審決が,アルキニルフコース1,2,3-トリ(トリメチルアセテート)の阻害活性のデータが「不自然」であると認定したのは,被告がその後に提出した生データを考慮した上での,後付けの判断によるものといわざるを得ず,この点に関する審決の判断は,本件優先日に当業者が知り得なかった生データに基づくものであるから,特許法36条4項1号の規定に反する」
と主張した。
しかしながら、裁判所は、
「当業者であれば,アルキニルフコース1,2,3-トリ(トリメチルアセテート)の阻害活性に関する本件データを参照するまでもなく,発明の詳細な説明の記載から,表1の上記フコース類似体の阻害活性データが誤記であることを推測でき,それを発明の詳細な説明の実施例の記載に基づいて容易に確認することができると認められるのは前記認定のとおりである。
このように,本件は,本件明細書に,当業者が,技術常識に照らし,阻害活性に関するデータの一部分が不自然であると推測し確認することができる記載があるといえる場合であるから,本件明細書の発明の詳細な説明(【0217】の表1)に記載された阻害活性のデータ(50μMにおける阻害)について,出願後に補充した本件データを参酌することも許されるものと解される。被告は,本件明細書の発明の詳細な説明に開示された多くの実験結果の1つに誤記があったことから,本件明細書に記載された内容の範囲内での結果を示すような事後的な本件分析報告を提出して(甲16),上記誤記について釈明しているにすぎない(例えば,特許出願前に実施することができた実験データを,事後的に追完するような場合とは異なる。)。
したがって,出願後に補充した本件データを参酌した審決の判断に誤りはなく,原告の上記主張は採用することができない。」
と判断した。
【コメント】
争点は、進歩性、実施可能要件、サポート要件であり、いずれも裁判所は審決の判断に誤りはないと結論付けた。
そのうち、実施可能要件については、明細書に記載されているひとつのフコース類似体のデータに効果が無い(阻害活性が0%である)という記載が問題となった。
裁判所は、当業者であれば、本件明細書の記載及び技術常識に照らし、そのデータが不自然であると認識し、誤記であることを確認することに格別の技術的困難があるとは認められないことから、いわゆる後出しデータを参照するまでもなく、誤記であることを推測でき、それを明細書の記載に基づいて容易に確認することができると認められるし、そのような場合には、いわゆる後出しデータで誤記の釈明を参酌することができる、と判断した。
本件裁判所の判断によれば、明細書に記載されたデータの一部分に誤記があったときに釈明するためのポイントは以下の2点となる。
①当業者が、明細書の記載及び技術常識に照らして、その部分が不自然(誤記)であると推測できること
②当業者が、明細書の記載に基づいて、格別の技術的困難なく、そのデータの一部分を再確認することができること
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