LRP6結合分子に関する特許取消決定取消訴訟: 知財高裁平成29年(行ケ)10045
【背景】
「低比重リポタンパク質受容体関連タンパク質6(LRP6)を調節するための分子および方法」に関する特許(第5764329号)の異議申立て(異議2016-700138号)につき特許庁がした特許取消決定の取消しを求めてノバルティス(特許権者)が訴訟を提起した事件。
請求項1(一部記載を簡略):
特異的にLRP6の第1のプロペラまたは第3のプロペラに結合するモノクローナル抗体の抗原結合部分を含むLRP6結合分子であって,ここで,
(i)特異的にLRP6の第1のプロペラに結合するモノクローナル抗体の抗原結合部分を含むLRP6結合分子である場合,抗原結合部分が
(a)配列番号:1のアミノ酸20-326;または
(b)配列番号:1のアミノ酸286-324;
のいずれかに含まれるか,またはいずれかと重複しているヒトLRP6(配列番号:1)のエピトープに結合し,
モノクローナル抗体の抗原結合部分がWnt1特異的であり,優先的にWnt1誘導シグナル伝達経路を阻害するが,Wnt3a誘導シグナル伝達経路を阻害しない
(ii)特異的にLRP6の第3のプロペラに結合するモノクローナル抗体の抗原結合部分を含むLRP6結合分子である場合,抗原結合部分が
(c)配列番号:1のアミノ酸631-932;または
(d)配列番号:1のアミノ酸889-929;
のいずれかに含まれるか,またはいずれかと重複しているヒトLRP6(配列番号:1)のエピトープに結合し,
モノクローナル抗体の抗原結合部分がWnt3および/またはWnt3a特異的であり,優先的にWnt3および/またはWnt3a誘導シグナル伝達経路を阻害するが,Wnt1誘導シグナル伝達経路を阻害しない,結合分子。
請求項23:
請求項1-22のいずれかに記載のLRP6結合分子を含む医薬組成物。
【要旨】
裁判所は、本件発明(LRP6結合分子の発明及び医薬品組成物の発明)について実施可能要件及びサポート要件に適合しないとして本件特許を取り消すとした異議の決定の結論に誤りはないから、その余の取消事由について判断するまでもなく原告の請求は理由がない、と判断した。請求棄却。
以下、裁判所の判断を抜粋。
1.LRP6結合分子の発明(本件発明1~22,31~33)について
実施可能要件適合性について
「物の発明について,明細書の発明の詳細な説明の記載が実施可能要件に適合するというためには,当業者が,明細書及び図面の記載並びに出願時の技術常識に基づいて,その物を生産でき,かつ,使用することができるように具体的に記載されていることが必要であると解するのが相当である。」
「本件発明1~22,31~33は特定のアミノ酸配列の抗原結合部分を含むLRP6結合分子,すなわち化学物質の発明である。そして・・・本件明細書の記載から,実施例で得られた各Fabのアミノ酸配列等の化学構造や認識するエピトープを把握することはできない。また,本件明細書には,Wnt1特異的等の機能的な限定に対応する具体的な化学構造等に関する技術情報も記載されていない。そうすると,本件明細書の発明の詳細な説明における他の記載及び本件特許の出願時の技術常識を考慮しても,特許請求の範囲に規定されている300程度のアミノ酸の配列に基づき,Wnt1に特異的である等の機能を有するLRP6結合分子を得るためには,当業者に期待し得る程度を超える試行錯誤をする必要があると認めるのが相当である。したがって,本件明細書の発明の詳細な説明は,当業者が,本件明細書及び図面の記載並びに出願時の技術常識に基づいて,本件発明に係る物を生産でき,かつ,使用することができるように具体的に記載されているとはいえない。」
サポート要件適合性について
「特許請求の範囲の記載がサポート要件に適合するか否かは,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものと解するのが相当である。」
「本件明細書には,具体的な抗体の抗原結合断片Fabを得たことをうかがわせるプライベート番号(Fab003,Fab015など)が記載されているものの,それらの具体的なFabの構造(アミノ酸配列)も,当該抗原結合断片が認識するエピトープ(LRP6中の数個のアミノ酸配列)も記載されていない(なお,上記のとおり,実験結果が記載されていたと推測される図が全て欠落しているため,これらのFabが有する詳細な機能・特性の検証自体が事実上不可能である。)。そして,特許請求の範囲には,「モノクローナル抗体の抗原結合部分がWnt1特異的であり,優先的にWnt1誘導シグナル伝達経路を阻害するが,Wnt3a誘導シグナル伝達経路を阻害しない」という機能的な特徴を有することが記載されているものの,これらの機能と得られたFabの構造上の特徴等を関連づける情報も何ら記載されていない。そうすると,本件発明1について,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるとも,また,当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるともいえない。このことは,本件発明2~22,31~33についても同様である。」
2.医薬組成物の発明(本件発明23~30,34~39)について
実施可能要件適合性について
「医薬に関する発明については,一般に,物質名や成分組成等が示されることのみによっては,その有用性及びそのための当該医薬の有効量を予測することは困難であり,当該医薬を使用することができないから,実施可能要件に適合するものといえるためには,明細書の発明の詳細な説明が,その医薬を生産することができるだけでなく,出願時の技術常識に照らし,医薬としての有用性を当業者が理解できるように記載されている必要があるというべきである。」
「本件明細書には,本件発明23~30,34~39に係る医薬組成物が新規有効成分とするところの「LRP6結合分子」を用いた薬理試験結果など,医薬としての具体的な有用性を当業者が理解し得るような記載がされていない。そうすると,当業者は,本件発明に係る特定の「LRP6結合分子」がいかなる疾患の治療に有効であるかを具体的に理解することができないというべきである。したがって,本件発明23~30,34~39について,本件明細書の発明の詳細な説明は,実施可能要件に適合するものとはいえない。」
サポート要件適合性について
「本件明細書・・・には,一般的な製剤化技術やWntシグナル伝達が関連している可能性がある多くの疾患が列挙されているものの,本件明細書の他の記載を参酌しても,本件発明に係る特定の「LRP6結合分子」がいかなる疾患の治療に有効であるかを具体的に理解することはできないから,本件明細書の発明の詳細な説明は,上記課題が解決できることを当業者が認識できるように記載されているとはいえない。そうすると,本件発明23~30,34~39に係る特許請求の範囲の記載は,サポート要件に適合するものとはいえない。」
【コメント】
本件特許明細書(特表2011-503025; WO2009/056634)には、実施例で得られた具体的な各Fabのアミノ酸配列等の化学構造も当該抗原結合断片が認識するエピトープ(LRP6中の数個のアミノ酸配列)も記載されていないし、実験結果が記載されていたと推測される図も全て欠落していた。
特許庁の審査を経て一旦特許査定が出されたことは不思議だが、実施可能要件違反及びサポート要件違反を理由による特許取消は免れない結果であろう。
優先権の基礎となる米国出願(No.60/984,827)には、Fabやエピトープのアミノ酸配列の記載はやはりないが、しっかりと実験結果が記載された各種の図(Figures 1-5)は添付されていた。出願人がPCT出願の際にそれらの図を添付し忘れたと考えられる。
ところで、本件日本特許に対応するものとして、米国出願はOffice Actionに応答せず放棄されている(US2010-254980A1)が、欧州出願は特許として登録され(EP2209491B、EP2567709B)、異議申立てを受けた。
EP2209491特許に対しては、Boehringer IngelheimとMerckによりそれぞれ特許異議が申立てられ、特許は無効と判断された。
現在、審判係属中である(T1820/18)。EP2567709特許に対しては、Boehringer Ingelheimにより2018年9月25日に異議が申立てられたばかり。
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