Summary
ワーナー-ランバートが保有する「イソブチルGABAまたはその誘導体を含有する鎮痛剤」に関する特許第3693258号の無効審決取消訴訟。
知財高裁は、
- 「痛み」に関する本件発明を「神経障害や線維筋痛症による痛覚過敏や接触異痛の痛み」に特定する本件訂正について、本件明細書には「痛み」に当該痛みが含まれる旨の記載があるが、当該痛みに「効果を奏すること」の記載がないから、新規事項の追加に当たる
- 前記訂正が認められない結果、あらゆる「痛み」を包含する本件発明については実施可能要件及びサポート要件各違反がある
との判断をした本件審決に誤りはないとして、原告の請求を棄却した。
1.事件の背景
本件(知財高裁令和2年(行ケ)10135)は、原告(ワーナー-ランバート)が保有する「イソブチルGABAまたはその誘導体を含有する鎮痛剤」に関する特許第3693258号に対して沢井製薬が請求した無効審判事件(無効2017-800003号)において、特許庁が「請求項1及び2に係る本件訂正を認めず、請求項1及び2に係る発明についての本件特許を無効とし、他方、請求項3及び4に係る本件訂正を認め、請求項3及び4に係る発明についての審判請求は成り立たない」とする審決をしたため、原告が、請求項1及び2に係る部分の取消しを求めた審決取消訴訟である。
本件審判には以下の後発医薬品メーカー15社が参加しており、本件訴訟において、これら後発医薬品メーカーも沢井製薬と共に被告である。
日新製薬株式会社、サンド株式会社、日本ケミファ株式会社、テバ・ホールディングス株式会社、大原薬品工業株式会社、ダイト株式会社、日医工株式会社、ニプロ株式会社、共和薬品工業株式会社、小林化工株式会社、日本ジェネリック株式会社、東和薬品株式会社、Me ファルマ株式会社、辰巳化学株式会社、株式会社フェルゼンファーマ
本件特許第3693258号は、20年の存続期間満了日が2017年7月16日であったところ、プレガバリンを有効成分とし「神経障害性疼痛・線維筋痛症に伴う疼痛」を効能・効果とする疼痛治療剤リリカ®の製造販売承認に基づいて特許権存続期間の延長が登録され、最長満了日は2022年7月16日となっている。
その延長された特許権が、リリカ®の後発医薬品参入に対抗する最後の砦となっていた。
本件審決において各請求項は表1のとおりに訂正請求された。なお、本件審決のうち請求項3及び4に係る部分(無効請求不成立)は確定した。
請求項 | 訂正前 | 訂正後 | 審決での訂正可否判断 |
---|---|---|---|
1 | (訂正前の本件発明1) 式I(省略)(式中,R1は炭素原子1〜6個の直鎖状または分枝状アルキルであり,R2は水素またはメチルであり,R3は水素,メチルまたはカルボキシルである)の化合物またはその医薬的に許容される塩,ジアステレオマー,もしくはエナンチオマーを含有する痛みの処置における鎮痛剤。 | (訂正後) 式I(省略)(式中,R1は炭素原子1〜6個の直鎖状または分枝状アルキルであり,R2は水素またはメチルであり,R3は水素,メチルまたはカルボキシルである)の化合物またはその医薬的に許容される塩,ジアステレオマー,もしくはエナンチオマーを含有する,痛覚過敏又は接触異痛の痛みの処置における鎮痛剤。 | 否 |
2 | (訂正前の本件発明2) 化合物が,式IにおいてR3およびR2はいずれも水素であり,R1は-(CH2)0-2-iC4H9である化合物の(R),(S),または(R,S)異性体である請求項1記載の鎮痛剤。 | (訂正後) 式I (省略)(式中,R3およびR2はいずれも水素であり,R1は-(CH2)0-2-iC4H9である)の化合物の(R),(S),または(R,S)異性体を含有する,神経障害又は線維筋痛症による,痛覚過敏又は接触異痛の痛みの処置における鎮痛剤。 | 否 |
3 | (訂正前) 化合物が,(S)-3-(アミノメチル)-5-メチルヘキサン酸または3-アミノメチル-5-メチルヘキサン酸である請求項1記載の鎮痛剤。 | (訂正後) (S)-3-(アミノメチル)-5-メチルヘキサン酸または3-アミノメチル-5-メチルヘキサン酸を含有する,炎症を原因とする痛み,又は手術を原因とする痛みの処置における鎮痛剤。 | 可 (確定) |
4 | (訂正前) 痛みが炎症性疼痛,神経障害による痛み,癌による痛み,術後疼痛,幻想肢痛,火傷痛,痛風の痛み,骨関節炎の痛み,三叉神経痛の痛み,急性ヘルペスおよびヘルペス後の痛み,カウザルギーの痛み,特発性の痛み,または線維筋痛症である請求項1記載の鎮痛剤。 | (訂正後) 式I(省略)(式中,R1は炭素原子1〜6個の直鎖状または分枝状アルキルであり,R2は水素またはメチルであり,R3は水素,メチルまたはカルボキシルである)の化合物またはその医薬的に許容される塩,ジアステレオマー,もしくはエナンチオマーを含有する,炎症性疼痛による痛覚過敏の痛み,又は術後疼痛による痛覚過敏若しくは接触異痛の痛みの処置における鎮痛剤。 | 可 (確定) |
本件のポイントは、
- 「痛み」に関する本件発明を「神経障害や線維筋痛症による痛覚過敏や接触異痛の痛み」に特定する本件訂正が認められるか否か
である。
2.裁判所の判断
知財高裁は、
- 「痛み」に関する本件発明を「神経障害や線維筋痛症による痛覚過敏や接触異痛の痛み」に特定する本件訂正について、本件明細書には「痛み」に当該痛みが含まれる旨の記載があるが、当該痛みに「効果を奏すること」の記載がないから、新規事項の追加に当たる
- 前記訂正が認められない結果、あらゆる「痛み」を包含する本件発明については実施可能要件及びサポート要件各違反がある
との判断をした本件審決に誤りはないとして、原告の請求を棄却した。
以下に、裁判所の判断を一部抜粋する。
(1)取消事由1(本件訂正についての判断の誤り)について
(1) 訂正の要件(新規事項の追加)について
ア 原告は,本件化合物2につき神経障害や線維筋痛症による痛覚過敏や接触異痛の痛みに対して「効果を奏すること」を当業者が理解できるか否かは実施可能要件等の記載要件に係る判断において検討すべき事柄であるから,本件化合物2につき神経障害又は線維筋痛症による痛覚過敏又は接触異痛の痛みの処置に鎮痛剤として「有効であること」が記載されているに等しいと当業者が理解するとはいえないとして訂正事項2-2に係る本件訂正が新規事項の追加に当たると判断した本件審決は特許法134条の2第9項において準用する同法126条5項の適用を誤るものであると主張する。
イ 特許無効審判における訂正の請求は,「願書に添付した明細書,特許請求の範囲又は図面に記載した事項の範囲内において」しなければならず(特許法134条の2第9項において準用する同法126条5項),同事項とは,当業者によって,明細書,特許請求の範囲又は図面の全ての記載を総合することにより導かれる技術的事項であり,訂正が,このようにして導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入しないものであるときは,当該訂正は,いわゆる新規事項の追加とならず,「明細書,特許請求の範囲又は図面に記載した事項の範囲内において」するものということができる(知財高裁平成18年(行ケ)第10563号同20年5月30日判決参照)。
しかるところ,本件発明2は,公知の物質である本件化合物2について鎮痛剤としての医薬用途を見出したとするいわゆる医薬用途発明であるところ,訂正事項2-2に係る本件訂正は,「請求項1記載の(鎮痛剤)」とあるのを「神経障害又は線維筋痛症による,痛覚過敏又は接触異痛の痛みの処置における(鎮痛剤)」に訂正するというものであり,鎮痛剤としての用途を具体的に特定することを求めるも
のである。そして,「痛みの処置における鎮痛剤」が医薬用途発明たり得るためには,当該鎮痛剤が当該痛みの処置において有効であることが当然に求められるのであるから,訂正事項2-2に係る本件訂正が新規事項の追加に当たらないというためには,本件化合物2が神経障害又は線維筋痛症による痛覚過敏又は接触異痛の痛みの処置における鎮痛剤として「効果を奏すること」が,当業者によって,本件出願日当時の技術常識も考慮して,本件明細書(本件訂正前の特許請求の範囲を含む。以下同じ。)又は図面の全ての記載を総合することにより導かれる技術的事項として存在しなければならないことになる。
ウ この点に関し,原告は,新規事項の追加に当たるか否かの判断においては,訂正事項が当業者によって明細書又は図面の全ての記載を総合することにより導かれる技術的事項であるか否かが検討されれば足りることから,本件審決の判断には誤りがあると主張する。しかしながら,上記のとおりの本件発明2の内容及び訂正事項2-2の内容に照らせば,本件化合物2が神経障害又は線維筋痛症による痛覚過敏又は接触異痛の痛みの処置に「効果を奏すること」が本件明細書又は図面の記載から導かれなければ,訂正事項2-2につき,これが当業者によって本件明細書又は図面の全ての記載を総合することにより導かれる技術的事項であるとはいえない。したがって,原告の上記主張を前提にしても,訂正事項2-2に係る本件訂正が新規事項の追加に当たらないというためには,本件化合物2が神経障害又は線維筋痛症による痛覚過敏又は接触異痛の痛みの処置における鎮痛剤として「効果を奏すること」が本件明細書又は図面に記載されているか,記載されているに等しいと当業者が理解するといえなければならないというべきである。
エ したがって,訂正事項2-2に係る本件訂正が新規事項の追加に当たらないというためには,本件化合物2が神経障害又は線維筋痛症による痛覚過敏又は接触異痛の痛みの処置における鎮痛剤として「効果を奏すること」が本件明細書に記載されているか,記載されているに等しいと当業者が理解するといえなければならないというべきであるとした本件審決(なお,本件審決は,本件訂正の許否の判断に
おいて,本件明細書に加えて図面の記載についても検討しており,本件審決のいう「明細書」は図面を含む趣旨と解される。)は,特許法134条の2第9項において準用する同法126条5項の適用を誤るものではない。
(2) 訂正事項2-2に係る本件訂正が願書に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内の訂正であるとの原告の主張について
・・・本件明細書には,発明の概要として,本件化合物2が使用される疼痛性障害の中に神経障害及び線維筋痛症が含まれる旨の記載があるが,この部分には,本件化合物2が神経障害又は線維筋痛症による痛覚過敏又は接触異痛の痛みの処置において効果を奏する旨の記載はない(なお,本件化合物2が使用される疼痛性障害の中に神経障害及び線維筋痛症が含まれるとの一般的な記載があっても,そのことから,本件化合物2が神経障害又は線維筋痛症による痛覚過敏又は接触異痛の痛みの処置において効果を奏すると解することはできない。)。
・・・本件明細書には,発明の詳述として,本件化合物2が鎮痛剤として使用される対象の痛みに神経障害の痛みが含まれる旨の記載があるが,この部分にも,本件化合物2が神経障害又は線維筋痛症による痛覚過敏又は接触異痛の痛みの処置において効果を奏する旨の記載はない。
・・・
(4) 訂正事項1に係る本件訂正について
本件訂正前の請求項1及び2は,請求項2が請求項1の記載を引用する関係にあるから,請求項1及び2に係る本件訂正(訂正事項1及び2に係る本件訂正)は,一群の請求項1及び2についてされるものであるところ,前記(3)において説示したとおり,訂正事項2に係る本件訂正は許されないから,請求項2と共に一群の請求項を構成する請求項1に係る本件訂正(訂正事項1に係る本件訂正)も,許されない。これと同旨の本件審決の判断に誤りはない(なお,原告も,請求項2に係る本件訂正(訂正事項2に係る本件訂正)が許されない場合には,請求項2と共に一群の請求項を構成する請求項1に係る本件訂正(訂正事項1に係る本件訂正)も許されないことになることを争うものではない。)。
(5) 小括
以上のとおり,訂正事項1及び2に係る本件訂正を許さなかった本件審決の判断に誤りはない。取消事由1は理由がない。
(2)取消事由2(実施可能要件についての判断の誤り)について
(1) 平成14年法律第24号による改正前の特許法36条4項は,明細書の発明の詳細な説明は,その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載しなければならないと定めるところ,この規定にいう「実施」とは,物の発明については,その物の使用等をする行為をいうのであるから(特許法2条3項1号),物の発明について実施可能要件を満たすためには,明細書の発明の詳細な説明の記載が,当業者において,その記載及び出願時の技術常識に基づいて,過度の試行錯誤を要することなく,当該発明に係る物を使用することができる程度のものでなければならない。
そして,医薬用途発明においては,一般に,物質名,化学構造等が示されることのみによっては,その有用性を予測することは困難であり,発明の詳細な説明に,医薬の有効量,投与方法等が記載されていても,それだけでは,当業者において当該医薬が実際にその用途において使用できるかを予測することは困難であるから,当業者が過度の試行錯誤を要することなく当該発明に係る物を使用することができる程度の記載があるというためには,明細書において,当該物質が当該用途に使用できることにつき薬理データ又はこれと同視することができる程度の事項を記載し,出願時の技術常識に照らして,当該物質が当該用途の医薬として使用できることを当業者が理解できるようにする必要があると解するのが相当である。
これを本件についてみると,本件各発明は,・・・本件化合物を「痛みの処置における鎮痛剤」の用途に使用する医薬用途発明であるから,本件各発明について本件明細書の発明の詳細な説明の記載が実施可能要件を満たすといえるためには,本件明細書において,本件化合物が「痛みの処置における鎮痛剤」の用途に使用できることにつき薬理データ又はこれと同視することができる程度の事項を記載し,本件出願日当時の技術常識に照らして,本件化合物が当該用途の医薬として使用できることを当業者が理解できるようにする必要がある。
・・・
本件各発明は,「痛み」の処置における鎮痛剤の用途に使用されるものであり,当該「痛み」には何らの特定もされていないのであるから,実施可能要件を満たすか否かを判断するに当たって検討すべき本件出願日当時の当業者の理解の対象は,本件化合物が「痛覚過敏や接触異痛の痛み」又は「神経障害や線維筋痛症による痛覚過敏や接触異痛の痛み」に対して効果を奏することではなく,本件化合物が「痛み」に対して効果を奏することである。
・・・
本件明細書には,薬理データ又はこれと同視し得る程度の事項として,本件化合物がホルマリン試験,カラゲニン試験及び術後疼痛試験において効果を奏した旨の記載がある。しかしながら,・・・本件出願日当時,ホルマリン試験の後期相が専ら中枢性感作を反映するものであるとの技術常識並びにカラゲニン試験及び術後疼痛試験が神経の機能異常に基づく痛覚過敏や接触異痛の痛みを反映するものであるとの技術常識は存在せず,また,・・・本件出願日当時,痛みを原因によって区別できないとの技術常識も存在しなかったから,本件化合物がホルマリン試験,カラゲニン試験及び術後疼痛試験において引き起こされた各痛みの処置において効果を奏した旨の記載があるからといって,そのことをもって,当業者において,本件化合物が原因を異にするあらゆる「痛み」の処置においても効果を奏すると理解したとは到底いえない。したがって,ホルマリン試験,カラゲニン試験及び術後疼痛試験の結果に係る上記記載をもって,本件明細書の発明の詳細な説明において,本件化合物が「痛みの処置における鎮痛剤」の用途に使用できることにつき薬理データ又はこれと同視し得る程度の事項が記載され,本件出願日当時の当業者において,本件化合物が当該用途の医薬として使用できることを理解できたと認めることはできない。
・・・
以上のとおりであるから,本件明細書の発明の詳細な説明の記載が本件各発明について実施可能要件を満たさないとした本件審決の判断に誤りはない。
(3)取消事由3(サポート要件についての判断の誤り)について
特許請求の範囲の記載がサポート要件(平成14年法律第24号による改正前の特許法36条6項1号)を満たすか否かは,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,特許請求の範囲に記載された発明が発明の詳細な説明に記載された発明であって,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か,また,その記載や示唆がなくても当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断するのが相当である(知財高裁平成17年(行ケ)第10042号同年11月11日判決)。
・・・
本件各発明は,本件化合物を「痛みの処置における鎮痛剤」として提供することを課題とするものであると認められる。
そして,・・・本件各発明は,本件明細書の発明の詳細な説明の記載により当業者が上記課題を解決できると認識できる範囲のものであるとはいえず,かつ,当業者が本件出願日当時の技術常識に照らし上記課題を解決できると認識できる範囲のものであるともいえない。
・・・
したがって,本件各発明に係る特許請求の範囲の記載がサポート要件を満たさないとした本件審決の判断に誤りはない。
3.コメント
(1)明細書記載の訂正事項に「効果を奏すること」を求めることは妥当か
知財高裁は、「痛み」に関する本件発明を「神経障害や線維筋痛症による痛覚過敏や接触異痛の痛み」に特定する本件訂正について、本件明細書には「痛み」に当該痛みが含まれる旨の記載があるが、当該痛みに「効果を奏すること」の記載がないから、新規事項の追加に当たるとした本件審決に誤りはないと判断した。
訂正事項が明細書に具体的に記載されていたとしても、その技術的事項の効果を理解することができなければ、すなわち、本件の場合、医薬用途発明として効果を有することの裏付けになるような記載がなければ、新たな技術的事項を導入するものであり、新規事項の追加に当たると知財高裁が示したことになる。
原告は、本件訂正を認めなかった審決の論理に対して、「「効果を奏すること」を当業者が理解できるか否かは実施可能要件等の記載要件に係る判断において検討すべき事柄である」と主張していた。
このように、明細書に具体的に記載されている事項を訂正事項とする場合において、その訂正事項に係る技術的事項に実施可能要件と同様なハードルを設けて訂正の可否を判断した本判決の論理は、知財高裁平成20年5月30日特別部判決だけでなく、それ以降の裁判例でも採用されたことのある論理なのか不明だが、少なくとも、本件判決(及び関連判決)以外、医薬系判決では見たことがない(参考: 訂正・補正が争点となった判決記事)。
結局のところ、訂正後の本件発明であっても実施可能要件違反となると思われるため、知財高裁の判断の結論に異論はない。
しかし、本事案のように、明細書に具体的に記載されている事項を訂正事項とする場合において、その訂正の適否に、実施可能要件と同様なハードル(効果を認識し得ること)を設けて判断した論理は妥当と思えない。
特許法134条の2第9項において準用する同法126条5項のとおり、素直に「記載した事項」には訂正を認めた上で、訂正後発明についての実施可能要件等の適否を判断することが適切ではなかろうか。訂正要件と実施可能要件はその条文も趣旨も異なるのであるから、独立に判断されるべきではないか。
そして、本件訂正後における特許請求の範囲に記載されている事項により特定される発明が独立して特許を受けることができるものでない(本件訂正は独立特許要件に違反)ということであれば、訂正後の本件発明について実施可能要件を満たすか否かをしっかり検討して、特許法134条の2第9項において準用する同法126条7項の適否として判断すればよいはずである。
特許法134条の2第9項において準用する同法126条5項は、
と規定している。
そして、いわゆる「除くクレーム 」の訂正の適否について争われた事件(知財高裁平成18年(行ケ)第10563号)において、知的財産高等裁判所特別部は、以下の規範を示している。そして、もっとも、付加される訂正事項が当該明細書又は図面に明示的に記載されている場合、そのような訂正は、特段の事情のない限り、新たな技術的事項を導入しないものであると言及している。
「明細書又は図面に記載した事項」とは,当業者によって,明細書又は図面のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項であり,補正が,このようにして導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入しないものであるときは,当該補正は,「明細書又は図面に記載した事項の範囲内において」するものということができる。
そして,同法134条2項ただし書における同様の文言についても,同様に解するべきであり,訂正が,当業者によって,明細書又は図面のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入しないものであるときは,当該訂正は,「明細書又は図面に記載した事項の範囲内において」するものということができる。
もっとも,明細書又は図面に記載された事項は,通常,当該明細書又は図面によって開示された技術的思想に関するものであるから,例えば,特許請求の範囲の減縮を目的として,特許請求の範囲に限定を付加する訂正を行う場合において,付加される訂正事項が当該明細書又は図面に明示的に記載されている場合や,その記載から自明である事項である場合には,そのような訂正は,特段の事情のない限り,新たな技術的事項を導入しないものであると認められ,「明細書又は図面に記載された範囲内において」するものであるということができるのであり,実務上このような判断手法が妥当する事例が多いものと考えられる。
・・・無効審判の被請求人が,特許請求の範囲の記載について,「ただし,…を除く。」などの消極的表現(いわゆる「除くクレーム 」)によって特許出願に係る発明のうち先願発明と同一である部分を除外する訂正を請求する場合がある。
このような場合,特許権者は,特許出願時において先願発明の存在を認識していないから,当該特許出願に係る明細書又は図面には先願発明についての具体的な記載が存在しないのが通常であるが,明細書又は図面に具体的に記載されていない事項を訂正事項とする訂正についても,平成6年改正前の特許法134条2項ただし書が適用されることに変わりはなく,このような訂正も,明細書又は図面の記載によって開示された技術的事項に対し,新たな技術的事項を導入しないものであると認められる限り,「明細書又は図面に記載した事項の範囲内において」する訂正であるというべきである。
つまり、知的財産高等裁判所特別部の示した規範とは、本件のように特許請求の範囲の減縮を目的として特許請求の範囲に限定を付加する補正を行う場合、①付加される補正事項が当該明細書等に明示されているときのみならず、②明示されていないときでも新たな技術的事項を導入するものではないときは、「明細書等に記載した事項の範囲内」の減縮であるということになる・・・ということなのではないか。上記の判決文のとおり、もっとも上記①のときは新たな技術的事項を導入しないものなのだから。
(2)医薬用途発明の実施可能要件を満たすには薬理データの記載が重要
医薬用途発明において、実施可能要件を満たすには、明細書において、当該物質が当該用途に使用できることにつき薬理データ又はこれと同視することができる程度の事項を記載し、出願時の技術常識に照らして、当該物質が当該用途の医薬として使用できることを当業者が理解できるようにする必要がある。
本事案では、あらゆる「痛み」の処置における鎮痛剤を医薬用途とする請求項1及び2に対して、明細書に記載された薬理データだけでは、実施可能要件を満たすには十分でなかった。
本事案のように、特許請求の範囲がカバーする疾患の概念(医薬用途発明)と明細書に記載された薬理データにより裏付けられる疾患の概念との間でギャップがないか、特許出願時には注意しなければならない。
(3)特許権侵害訴訟で東京地裁も原告の訂正を認めず無効判断
リリカ®の後発医薬品を販売した複数のジェネリックメーカーに対して原告が提起した本件特許に係る特許権に基づく侵害差止請求事件において、東京地裁(民事第29部、第47部、第40部、第46部)の判決が言い渡されている。
例えば、以下の記事のコメント参照。
結論は、全て、原告の請求を棄却するものであり、本判決と同様に、本件訂正(の再抗弁)は認めずに実施可能要件違反又はさらにサポート要件違反により無効、そして、被告ら医薬品は発明の技術的範囲に属しない(文言侵害も均等侵害も成立しない)、という判断であった。
コメント
最高裁上告棄却・上告受理申立却下(2022年11月18日)
参考過去記事:
2010.01.20 「三和酒類・大麦発酵研究所 v. 特許庁長官」 知財高裁平成21年(行ケ)10134
https://www.tokkyoteki.com/2010/03/20100120-v-2110134.html
被告は、
「当初明細書の記載においては,本願補正発明に係る「組成物」の「活性酸素によって誘発される生活習慣病」に対する有効性についても全く確認されておらず,有効性が不明であるとして,新請求項1には新規事項の追加がある」
と主張した。
しかし、裁判所は、
「これは,記載不備や進歩性の判断における発明の効果の問題であって,新規事項の追加の有無の問題ではない」
とし、本件審決の判断は誤りであると判断した。